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180331更新  2015.08.21
政治経済(ブログから)


※このホームページの文章と写真等のデータ、及び僕のツイッター(リツイートした他者のデータ以外)、ブログの内容は、改竄しない限り利用フリーです。(このホームページには、HTMLを見てもらえば分かりますが、CGIなどのプログラムは埋め込まれていません。)

目次

政治的価値観

NHKの「時論公論」をみた後に書いた政治批判ツイート(福祉国家は工夫すれば発展的継続が可能)

リベラリズムと生存権と米国の関係

BS朝日 激論!クロスファイア「検証!3年目のアベノミクス」を見て

成長と分配

ベーシックインカム案

公共の福祉





政治的価値観 (180306)

イデオロギーは過去のもので、不要な対立は避けたいが、本来の左右の価値観の違いが、支持団体の違いにより実際は現在でも政治の裏にある。そのため2つの指標によりグラフ化し説明を加えた。(誤解を避けるため)

立ち位置に関係なく、理想や人権を重視した政治が望まれることはいうまでもない。

政治的価値観


(上の「補足」と同じ文) 
急進性と漸進性の違いで左右を捉える価値観があるが、現在は左右関係なく、基本的に漸進的な改革が一般的であり、それで左右の違いを捉えのは適切ではないだろう。▼イデオロギーの見方は世代によって異なるが、かつてはマルクス主義ではない場合に保守であるという主張が一般的であった。革新と保守という言葉もそれに近いが、この場合は革新の中にマルクス主義ではないリベラル左派が混在した。冷戦崩壊以降は、左右の境界が曖昧になり、かつては保守で捉えられるケースもあったリベラルという言葉が、保守とリベラルという違いで用いられるようになっている。▼一番上のグラフについてだが、米国は一般に自由主義の国といわれるものの同時に左派系の文脈では保守系とみなされることは政治的スペクトルの図と矛盾しない。米国系の自由主義はリバタニアリズムの方向性をもつ新自由主義といわれるもので保守政策とみなされるが、新保守という用語が正確な表現かもしれない。平等を目的とする革新である社会主義は、マルクス主義の名においては一時的に権威の下で平等な社会を実現することを目的にするが、あくまで一時的なものであり本来の理想を実現できれば一時的な独裁は終了する。社会主義の究極の理想に無政府で平等というアナキズムがあるが実現は現実的には難しいものである。また、マルクス主義ではない穏健な民主主義を社会民主主義というが現在の先進国における社会党の立場であり、自由主義が民主主義の下で理想化していった社会自由主義と社民主義とは政策的には近い関係にある。平等を理想とする側と自由を理想とする側という2つの革新が互いに近付いた結果ということになるだろう。▼ノーランチャートにおける左翼だが、個人の自由は人権の衝突を調整した公共の福祉の実現が前提となるため、自由権と社会権のバランスの上に成り立つという観点から正しいが、ノーランチャートにおいての経済的自由は右翼が権威主義であるにしても故に権威ある者の自由ということになり、米国的な価値観になる。右翼に関しては国粋主義であるから最も下のグラフの方がより実際に即した指標となる。▼ちなみに僕は穏健な中道左派であり社民主義〜社会自由主義を望んでいる。格差是正と弱者救済を人権が尊重された自由でで民主的な社会において実現することを願うからである。立ち位置に関係なく理想や人権を重視した政治が望まれることはいうまでもない。

 ーーー

世界的に政治対立があるように報道などを読むと感じるが、同時にイデオロギーが過去のものとなっているにも関わらず、包摂か排除かなどのイデオロギーに似た左右対立もしくは中道路線と両極の対立がある。

この時代に理念を重視しつつ現実を互恵的なものに発展させることが大きな課題なのだと思う。












NHKの「時論公論」をみた後に書いた政治批判ツイート(福祉国家は工夫すれば発展的継続が可能)
15/06/08

ブログを更新しようとしても、テクノロジー犯罪の電磁波被害により、文章が書けなくなるので、ツイートしたうちで残しておきたいものを移すことにしました。 以下、「生活困窮者自立支援制度」「財政赤字の拡大を止めるにはどうすればいいか?」です。読まれないまま誤解されると困るので書きますが、僕は安倍政権の表面上良く見せて、実は問題だらけの政策の多くに反対しています。

2015年06月05日(金)のNHK時論公論でのツイート

財政赤字の拡大を止めるにはどうすればいいか?

政府は国と地方をあわせた基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2020年度に黒字化することを目標としている。いまは毎年GDP比で3.3%の赤字により、毎年借金が増え続けている。これを中間目標として1%、20年に0にしたいという。

ただし、内閣府の試算では、このままだと2020年度の基礎的財政収支(歳入に対する歳出の差)は16.4兆円の赤字で、経済成長による税収増があったとしても9.4兆円の赤字。政府の諮問会議ではもっと税収増を見込めると言っているが、過去に繰り返し甘い試算で失敗を忘却。

政府は、経済成長による歳入増が不十分であれば支出をカットするという。
そのメニューは、後発医薬品の利用促進。外来窓口での定額負担(=低額ではなく定額=負担増)。高所得な高齢者の年金給付を減らす。教員数の合理化。地方財政のカット。などが並ぶ。
市民は反対する。

ここから後はすべて僕の意見。
経済成長をしても税収が足りないなら、前にあるような重要な支出のカットをするよりは、税負担を求めた方がいいはず。消費税増税は景気を悪化させ税収をより少なくするのでもうできないとのこと。当然だ。歳出カットも使うお金が減るのだから経済が悪化する。

歳出カットも、消費増税も、どちらも経済を悪化させて、税収が減る逆効果の現象がある。
ただし、消費税ではない応能負担であれば、必ずしもそうではない。要するに、余裕のある人や企業に社会的コストを負担してもらえば、経済への影響を最小限にして、財政問題を解消できる。

世帯所得が千万円の世帯の年間支出の平均が5百万円(月に約42万円)。課税を嫌がって財政破綻になれば巨額の貯金は相殺され消えるが、課税をされても十分余裕がある世帯では支出を特別減らすことはない。むしろ、所得の高い層は不景気でも資産を増やしているので負担増は当然。

政府は金融緩和策をしていて、日銀が国債を購入するので、国債価格は低く抑えられたまま、お金が市場に流れて、富裕層の資産を増やしている。不労所得が増えている富裕層や大企業に課税しても痛みは少ない。むしろ、財政赤字の拡大が止まり、国民ニーズの高い、福祉や教育といったサービス産業にまで予算が投入されれば、それが信用創造という好循環を生み出し経済が健全に拡大する。社会に安心がうまれ教育の質が上がれば、自ずと社会は自律的に発展するようになる。社会の透明性を高めれば歪を調整する財政的余裕と人材の充実という好循環。

こういった、左派的な社会に対する考え方が、発展をつくる。現在の左派は資本主義を受け入れており、資本主義の問題を民主主義や福祉国家の考え方で補うという立ち位置をとっている。全てを国有化する旧来の発想ではないだけに、政権を任せるべきだろう。

残念なのは、安倍政権が保守的タカ派の立場にあることと、中国の台頭に際して日本に強い影響力を持つ同盟国の米国が左派を警戒していることにある。西の経済界の影響は強く、論理的に考えれば失敗する政策で短期的に逆の効果をもたらすことが可能のようだ。ただ長期では失敗する。

支配目的のグローバリストの要求を呑めば、短期的に利益が上がったかのように、株価とメディアを使って、その国の国民にPRして政権を存続させて、新自由主義なり、外国企業の入り込む余地なりをつくって、米国支配を強化し終わってから、経済の逆回転=不況が待っているかも。

比較的まともなグローバリストだと、再分配で各国の国民が豊かになってお金を使えば、インフレの懸念が生じたり、増えたお金で者をたくさん購入して輸入が増えた場合は、世界で資源や物資の奪い合いから、紛争が起こるかもしれないことへの配慮を主張しているかもしれない。

しかし、資源購入や価格の国際競争があまり関係のない教育や福祉分野への再分配は、そういった懸念を最小化して、皆が幸せになる可能性が高い。豊かな国で過剰に資源や食料を輸入することが紛争可能性を増すのなら、そこへは関税や課税という形で調整ができる。問題は解決可能。

posted at 02:09:57

電磁波犯罪に反対。僕の意見を書くと、当たり前の事なのに、電磁波被害が悪化して、胸が苦しい。電磁波による空咳が出る。弾圧反対



2015年06月04日(木)のNHK時論公論でのツイート

生活困窮者自立支援制度について

貧困率が高く、非正規労働が増えている現状で、離婚や介護、失業、病気という状況に陥って困難にある人たちを助ける制度は必要だろう。
ただし、いい政策でも、生活保護予算を削る方向で使われるなら賛成できない。

理想をいえば捕捉率が2割と言われる生活保護の捕捉率を百%にするべきだが、そこまでの予算(単純計算で5倍)がない現状で、そこを埋める政策としてなら意義はあるとは思う。

かつての福祉国家が傾いた英国の第三の道という手法だろうけれど、欧州の大きな政府で高齢化に財政が対応できない状況と、日本の小さな政府で財政拡大を破綻的にならないように福祉政策を拡充するのでは方向が違う。英国は右傾化。日本は左傾化のはずが右傾化だったら最悪に。

現状の制度としては理念的だが、予算が足りないがために、窓口で対応しにくくして、たらい回しにされ、それでも支援が必要なため、解決に結びつく人にしか対応しない福祉政策では、大きな不条理を生む。現実策をしつつ窓口をワンストップにするならいいが、予算削減策なら間違い。

いまの生活困窮者自立支援制度は、自治体が実施主体だが、義務化されていないため、制度の利用や運用はそれぞれの自治体次第。そのため、一時生活支援19%、子どもの学習支援33%、家計相談23%、就労準備支援28%、家賃の一時給付?と地域間格差が大きいとのこと。

番組では川崎市や滋賀県草津市での取り組みの成功例が紹介された。
結局は、限られた予算と人的資源をどこに集中するかという問題になる。社会問題の解決に熱心で、予算などに余裕のある自治体ならいいが、問題を抱える自治体ほど余裕はないはず。

ただでさえ介護保険が要介護1〜5に限られ、経度である要支援1,2が自治体の負担になっており、また生活保護者も増えているため、自治体に余裕はない。
結局は、支援すれば社会復帰したり活躍する人が、手遅れになってしまう状況にある。

第三の道は英国では大きな政府を中ぐらいにするものでも、日本では制度の見せかけはともかく、小さな政府を中ぐらいにするものだったはず。いましているのは、見せかけの福祉国家を小さな政府にする新自由主義の準備でしかないだろう。

共に支えあう地域を模索して、NPOやボランティア、地域、自治体、企業が連携しても、十分な予算措置がなければ、本当の意味で生活困窮者対策として成功することは困難になり、政府が福祉予算をカットするための方便として利用されてしまうのが現実。

政府が新自由主義的なことをしているのは多くの人が認識しているはずだが、新自由主義だってベーシックインカムという生活を支える再分配がある。そういった最低限のセーフティネットもなしに、既存の制度を破壊していくなら、いまの政府は悪魔だ。

誤解は避けたいので、追加するが、ベーシックインカムがあれば一般論としての新自由主義を受け入れるとは言っていない。新自由主義でも政府がやるべきでない政策のカットであって、既存の福祉や教育をカットするとは主張していないはず。

衣食住を支える1次2次産業の就労者が人口の十数%で、残りがサービス業の就労者とこども、学生、年金生活者、失業者という時代だから、市場原理だけに任せるような新自由主義の導入なしで、医療福祉介護教育を維持強化してのベーシックインカムの導入ならあってもいいと思う。

これは、何年も前にメディア集ストで天の声として利用されたときに言っていたこと。要するに各政策の「いいとこ取り」。そんなことが政治的に可能かはともかく、経済政策としては課税を拒む層を説得できれば成功する。新自由主義の様な失敗政策とはまるで逆。ただし逆利用されたらしい。

当時、どの程度伝わっていたかはわからない。いま、メディア集ストや電磁波犯罪・集団ストーカーで分かるのは、そのまま伝わったわけではないのだろうということ。
僕の主張は、福祉国家より経済が活性化し、より効率よく制度が運用される、人権侵害が絶対にない透明性を確保してのもの。

posted at 01:09:43

以上です。

いまの世界は、先進国は長寿化により高齢化し、福祉国家の持続可能性の問題に直面していますが、緊縮財政が経済を縮小することと、財政に配慮しつつも国民ニーズの高い教育福祉サービスへの再分配が副作用の小さいものであること、この2点は確かなはずです。これからのイノベーションはエネルギーや食料を浪費しないタイプであるべきと思いますが、そのイノベーションも、再分配による平等で一定の豊かさのある国民生活の下支えなしには、成立しません。このことを含めた3点は、今後の社会の発展を考慮すると、非常に重要なものではないかと感じます。

新興国や途上国の発展も、自然エネルギーの普及で将来はエネルギー問題は解消されるでしょうし、リサイクルと新素材の開発により資源は効率化して循環するはずです。食料に関しても、先進国を除いたら不十分である灌漑を整備することと、水の効率利用、水耕栽培の発展により、解決は容易なはずです。必要なところへの効率的な投資が未来を切り開くことは確実で、実質的には未来は希望に満ちています。対立する問題を悪化させること無く、互いに歩み寄る姿勢を持って真摯に話し合い、平和的に問題解決が図られれは、人類は永続的に繁栄するでしょう。その見通しがあれば、テクノロジー犯罪や弾圧などの人権侵害にあたる問題の解決も可能と楽観します。



僕は電磁波犯罪被害者です。
I'm victim of Electronic harassment & Gang stalking.













リベラリズムと生存権と米国の関係
15/05/15

(平等を希求して)
2015年05月14日(木)のツイートから

「(ザ・コラム)新聞少年の像 生存権の「父」と改憲論 駒野剛」から引用
「押しつけ」といわれる日本国憲法の草案に「生存権」はなかった。当時、日本社会党の衆院議員だった森戸ら日本人が加えたのだ。
草案は国民の基本的人権を認めていた…それだけでは『生まれながら法の前で自由平等』である人間が『餓死の自由』『貧困の平等』にさらされることを防ぐことはできなかった。
25条に基づき、生活保護制度が整えられ、国民皆保険、皆年金といった「福祉国家」のセーフティーネットが作られていった。(引用終わり)

このコラムからも押し付け憲法論の危うさと、福祉国家を批判する新自由主義の問題がわかる。一般の生活者としては、米国のような自己責任の国にしてはいけないのは当然でも、米国内に存在する良識的でまともな勢力まで敵視すると逆効果になり得ると思う。そこに日本の過去の問題がありそうに感じるが、もし米国の裏が戦略的にそうしたなら怒りを感じるのは僕だけではないはず。

日本国憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」にあたる権利が、米国独立宣言にあるが、「certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness(生命、自由および幸福追求においての明白で不可分な権利)」、日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」で規定されている生存権が米国にはないという問題。

参照: ウィキペディアの生存権
各国憲法と国際機関における生存権の規定
日本国憲法
The Declaration of Independence

それ故に米国は現状では福祉国家になりえない。自由の国というより、一部の者の自由のために、誰かが犠牲になりかねない不自由な国であるという米国のいまの病理が国の根幹にあることが分かる。

そんな米国にも平等を重視するリベラル思想がある。だたし憲法などの基本法のベースとしてではなく、あくまで冷戦時代に共産主義と対峙していたことが背景にある思想であって、米国の冷戦での勝利が見えてきたときに新自由主義に取って代わられていったため、ロールズの正義論をベースとしたリベラル思想が、現在の米国の民主主義の基本となっていないのは残念なことだと思う。ただし、かつて英米日が富裕層向けの所得税の最高税率を9割としていたことは事実だし、その頃のフランスの最高税率が6割だったという点も考慮に入れるべきかもしれない。(アメリカが戦後、最高税率が高かった理由

川本隆史「NHK白熱教室JAPAN」を見ながら」によると、ロールズのリベラル思想から生存権を論じると「生存権⇒健康格差の容認⇒(ロールズ)正義の原理への違反⇒健康権への発展」(引用)ということになるらしい。いまの米国に理想はないかもしれないが、リベラル思想自体はより平等的であるということになる。ただ、コラムのようには、健康権がより上であるという主張が成り立ったとしても、生存権を否定する必要はないし、生存権を肯定しつつより強化する論調であれば、僅かな言葉の定義の違いにより、同じ目的を持つものが対立する必要はないと感じる。

ロールズの正義論をベースとしたリベラル思想は、反共国家であった米国で生まれた平等思想で、僕が物心ついたときには米国と対峙していた共産主義は失敗して冷戦が終結していった。冷戦終結後の高校の頃から理系科目を選択していたこともあり、世代的にもマルクスとは縁がなかったものの、格差が開かず貧困もない一定の平等は市民生活にとっては好ましいもので、同時に独裁を否定する平等理論はより優れている可能性があると思った。僕自身は当然だけれど反共をするつもりは全く無いので、マルクスの流れが残っている欧州などの地域がより平等であることを重視していることは尊重しているし、日本もそうあって欲しいと願っている。

ロールズのリベラル思想は自己責任の新自由主義国家となってしまった米国から離れたとしても、仏教がインドを離れて形を変えつつ発展したのと同じように、自由と多様性を尊重するための不可避の条件としての平等を実現するための道をいくと信じたい。












BS朝日 激論!クロスファイア「検証!3年目のアベノミクス」を見て。
15/04/12

BS朝日 - 激論!クロスファイア 「検証!3年目のアベノミクス」を見て。
2015年04月11日(土)

出演:
高橋洋一 嘉悦大学教授・経済学者
小幡績 慶應義塾大学大学院准教授・経済学者

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補足:この番組を見ていたときのツイートの内容が、基本的なところでいまの日本の状況をわかりやすく説明しているので、背景情報などを加えて信頼性を高めた上でブログに載せようとしたのですが、テクノロジー犯罪、電磁波犯罪の妨害でできなくなりました。仕方ないので、そういったことがあったことも含めて、そのままブログに入れておこうと思います。内容は全て僕の意見です。

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#tvasahi #gekiron

アベノミクスは最初から間違いだったという小幡さんの意見に全面同意する。

僕が2009年から言っていることでもある。 構造的に間違いなのだから、間違うのは当然。格差拡大で一般には内需縮小、それを富裕層の支出で補おうとしているが、健全でない。

リーマンショック後に原油・LNGのの輸入額が減っていて、2011年には戻っているが、大震災の年にも関わらず、2008年よりは少ない。2013年に円安と原油高で増えている。
これらが物価に影響していたというはなし。

円安は輸出産業にはプラスでも、国内の経済、特に中小企業やサービス産業にとってはマイナス要因が大きい。リフレ策=インフレは財政赤字対策であって、経済にプラスにはならない。
デフレは実は、実体経済の中での自然な再分配だったことを知るべきだと思う。

就業者数が自民党になって増えていること自体はいいことだが、民主党政権の最後の2012年の後半から経済は向上すると言われていて、そのタイミングで安倍政権ができていることもある。
失業率が下がるのはいいが、格差拡大と労働環境の悪化が問題。

株価と就業者数に相関関係があるのは、企業の実態が悪くとも株価上昇で利益が出れば企業に余裕ができて、非正規社員の雇用を増やすから。そこからいえるのは、株価が下がれば非正規社員はリストラされていくこと。株価が経済の実態を反映して上がるのならいいが…

いま政府がやっているのは日銀に国債を買わせ結果として株価を上げさせ、GPIFなどの政府系機関投資家にも株を買わせている。実体経済が反映されての株価の上昇でないということが問題で、株価の上昇で出来た資金的余裕を社会の発展や財政赤字削減に回したか?

いま必要なのは金融緩和で何もしなくても資産を増やしている人たちに課税して財政赤字を減らし、少子高齢化の状況で国民のニーズのある医療福祉、子育て支援、教育に予算を入れること。それにより内需が拡大すれば景気は良くなる。俯瞰すれば製造業の支援にもなる。

金融緩和はお金を増やす行為で、その過程でマネーは富裕層に集まり、物価上昇により実質賃金が下がるので格差が拡大する。富裕層へ課税して再分配すべき。
中長期で経済が良くなると企業が判断すれば正規雇用も増やすだろうが、安倍政権は派遣の生涯化をしている。

日本の基礎的財政収支が大きなマイナスなのは、税収が少ないから。支出は少子高齢化しているにもかかわらず先進国では小さい方。再分配、累進性が機能していないので、低所得層に重税関があるだけで、累進性を機能させて再分配をしつつ、富裕層に課税をすべき。

80年代のバブル経済のときに日米貿易摩擦により、日本は円高と公共事業の拡大による内需拡大策を受け入れた。そのときに、無駄な公共事業が膨大に増え、ケインズ派の自民党政治家が力を付けたが、無駄な公共事業が問題になった。これが罠だったのは、いまは明白。

小泉さんが現れ「自民党をぶち壊す」「抵抗勢力が悪い」と言って公共事業を削減し、ケインズ派が淘汰されていった。淘汰された側は新自由主義を批判する穏健派であり、平和主義者でもあった。これらが日本の再武装や新自由主義の導入のための長期策とわかる。

デフレは格差が縮小するが、経済が停滞し少子化が進まないための施策が必要。
インフレはうまくやれば財政赤字が減り、財政に余裕があれば、教育、福祉に予算がつくが、放置すれば格差が拡大するだけ。
どちらにしても格差是正の合意が必要。

経済成長の有無ではなくて、経済成長することは決して悪いことではないのだろうけれど、その結果として全員が文化的な最低限以上の生活を享受でき皆が豊かになるためにあるはずの経済により、格差が拡大して貧困が生まれることが悪いという意見に反対するなら問題。

経済というのは人の生活を豊かにするための分配の手法の研究だから、いまの資本主義をすてた前例なき市場経済が貧困をつくることなく必要なインフラや社会サービスに回るなら副作用に注意して進めればいいが、実態は貧困を拡大させ福祉サービスを弱体化している。

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補足:僕はメディア集スト、テクノロジー犯罪の被害者です。以下は番組の後に嫌がらせがあった証拠です。それとは別に嫌がらせではないかもしれないし、公開拒否になっているのでここには書きませんが、ウヨクのひとの返信とやりとりもありました。やりとりをする前に、僕への批判のツイートの返信があったようで、その時に左足がテクノロジー犯罪の被害で痺れていて、後でその時間に批判の返信があったことを知ったという経緯でした。

この日の午後に、番組のツイートを説明を加えて普通の文章にしようと思っていたのに、複合被害にあってできなかったのですが、被害がなければ電磁波犯罪やテクノロジー犯罪、メディア集ストに言及せずに、純粋に政治経済の内容を書くつもりでした。どうも、僕はそういうわけにはいかないようです。以下、その後のツイートを入れておきます。ウヨクのひととのやりとりは省いています。

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嫌がらせがあって、何かが裏にある。
今日のBS朝日-激論!クロスファイアは、新自由主義者といわれる竹中平蔵さん側の高橋洋一さんと、リベラル派や穏健保守派に近い小幡績さんで、席の位置が左右逆だった。
誰を引っ掛けようとしたのか?
僕以外に誰かいる?

確かに米民主党は金融緩和の側だけれど、雇用を確保し、経済を立て直しつつ、格差是正の必要性も認識している側の政党。いまは裏の金融業などが力を持ちすぎて民主主義が米国でも歪められている。

小幡さんと同じと激論クロスファイアの冒頭で書いたけれど、彼のウィキペディアを読むと僕とは随分意見が異なる。テレビで拝見すると僕と同じことを言うのは昔の竹中平蔵さんと同じ手法の再現かも。こういった罠に注意が必要。

竹中平蔵さんはグローバリストが日本に新自由主義を導入させるための道具として使われていた人なのは有名な話。説明が簡潔明瞭だったので反対派も同じように分りやすく話せばいいと思っていた。僕はネットで竹中さんの主張を読んだときは批判的だったが、テレビで彼はその批判をすべて避けて喋る。#重要












成長と分配

2008年にリーマンショックがあって、その後に経済に興味をもった時期があった。

以下は2008年の終わりから僕が主張していた内容に近いもの。

もしかしたら、松尾匡さんの「この経済政策が民主主義を救う」(安倍政権に勝てる対案)という著作(2018年3月現在に読んだばかり)に通じるものがあるかもしれない。

下は時事について(データ)のページの「『格差是正』(同一労働同一賃金、金融緩和の『条件』など)」から引用した内容(記述は2013〜14年のツイッター)

同一価値労働同一賃金の実現
安部政権の逆ワッセナー合意には反対。 日本での政労使交渉は以下のようなやり方をすべきと考える。

(1)1%の物価目標を設定し、物価上昇に伴う賃金上昇には、同一労働同一賃金の観点から、所得分配率を上げる努力を促しつつも、高額所得層は抑制し低所得層は加速することにより格差を是正する。

(2)雇用形態は一部の専門職を除くすべてを限定正社員とし、人事異動は取締役などの一部の役員にとどめる。その代わりに国は強力なセーフティネットを引いて、希望者の転職の機会と転職後に地位を完全に保障する。
【誤読回避】「限定性社員」は「異動による地位や職務の強制変更がない安定した正社員」の意図。安倍政権のリストラ手法ではない。

(3)目安としての最低賃金及び最低生活保障は大幅に引き上げる。

(4)企業は短時間労働を実現するための労働生産性の向上と、それに伴う雇用の増加に努力する。

(5)長時間労働とサービス残業を禁止する。通常時の労働時間を短くすることにより、景気の変動に対して雇用ではなく労働時間での調整を可能にする。

(6)女性の社会進出を促すためにクォーター制を導入し、男女ともに育児休暇制度の充実とその消化を実現する。

(7)企業は経営が許す限り、ワークシェアリングとワークライフバランスを実現する。

(8)企業及び個人はイノベーションに努め、国は環境整備を促す。 これらを漸進的に実行する。

 ーーー

金融緩和の条件

・労働分配率の引き上げを伴った形での労使間の合意に基づく同一価値労働同一賃金と最低賃金の引き上げ

・再分配による格差是正

・ワークシェアリング

・下請けいじめ対策

・バブル対策としての投資課税と資産課税と脱税対策

・規制改革とイノベーション

・未来を創る少子化対策



次は、ゲンダイのサイトで高橋洋一さんによる朝日批判を読んで、それに対する成長と分配についての僕の意見を記述したもの。

もしかしたら一読では誤解されかねないものなので、そこは分かり難いかもしれないけれど、僕は金融緩和の経済への有効性を一定程度は認識した上で、その副作用なども懸念しつつ、金融緩和には格差が広がらないように再分配を前提条件としていることが分かってもらえばいいということで、緩和マネーが滞留するところに課税して、福祉など上述の政策を促すことはプラスになると考える。

緩和マネーが上層で滞留するところに課税することで得られた巨額の税収は、富の再分配により経済活動が活性化するだけでなく、社会の諸問題の解決にも繋がり、巨額の財政赤字を削減することも可能になる。

この主張は、トリクルダウンという問題政策が実際には効果が極めて小さく、逆に金融緩和により実体経済の何倍もの市場経済がつくられる副作用が非常に大きいことから、その副作用を大幅に軽減して、控え目な金融緩和でも最大の効果を発揮させるて、社会の不条理を改善するための再分配の主張ということになる。

どうも再分配が十分にできない現状では、リスクが大きい金融緩和は抑制的にして、シェアリングエコノミーであるとか、最低賃金の引き上げ、同一労働同一賃金、労働衛生のための短時間労働とそれによる時間や余暇が増えた結果としてのレジャーなどの活性化、および、教育・職業訓練・生涯教育の充実などの政策を、福祉を維持しながらすすめることの方が重要かもしれない。

(こういうことを念頭において読んでもらえば、誤解されないと思う。)

170111(2017年1月11日)の僕のakejyのブログから

そういえば、9日の現代ビジネスのネット版に、 髙橋洋一さんによる「朝日新聞のあまりに稚拙な「経済成長否定論」を一刀両断してみせよう 経済面でも、この国をミスリードするか」というコラムがあったが、デタラメばかりだった。朝日がマクロ経済を知らないと書きつつ、マクロ経済を間違った論理で主張されていて、朝日新聞が経済成長否定を書いたのを格好のターゲットにしているみたいだけれど、間違いを前提に批判しても無意味だと思った。何が間違いなのかを、このブログで書こうと昨日は考えていたが、テクノロジー犯罪の記憶抑制により忘れさせられて、自分がするつもりもない作業をしていた。

僕の考を最初に書くと、僕は再分配ができないならデフレは歓迎するし、デフレにおいて経済成長率が0でも、それは社会にとっては問題はないことを知るべきだと思う。問題は国の借金が膨大であることで、その観点では成長して税収を増やして基礎的財政収支を黒字化しなければいけないのだけれど、国民生活という観点では、デフレは物価が下がることで年金生活者など低所得層に優しい状況が生じ、デフレ下でもマイナスではなく0成長であれば、実質的には社会は良くなっているということになる。非正規社員の賃金のあまりの低さは人権侵害の域で、例えば時給千円でフルタイム働いても年収は2百万円程度なので、安く買えることはありがたいはずだ。賃金が上がらなかった中で、物価が下がれば、非正規社員は賃金が下がることはないので、実質的には不遇の低所得層には賃上げに相当することになる。

だから朝日の《成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない》という意見は、優しい立場からのものであることが分かる。これに対して高橋洋一さんの「成長を否定したら、幸福の実現は難しくなる」という表現は、既得権や富裕層の幸福の実現という意味だと読者は理解しているのだろうか、という疑問が生じる。1970年代の朝日新聞の「くたばれGNP」は、僕は生まれていないか幼少期なので知らないけれど、当時と現在では状況があまりに違う。


ピケティの21世紀の資本が売れていたが、あれで有名になった公式 r(資本収益率)>g(経済成長率) を考えても、経済成長をすれば、一部の既得権の利益がそれ以上に増えていて格差が拡大することは確かだ。一部にその例外があって、それがデフレ下の日本であり、デフレでは格差は縮小することがわかるが、それを主張されていたのが髙橋洋一さんだった。意見の変化があったのかは知らないし、もともとのその意見が、ピケティ批判のためだったのかもしれないが、政治的に意見を変えるひとなので、オバマ大統領からトランプ大統領になるタイミングで朝日批判をしたというのは勘ぐりすぎなのかは分からないが。

ちなみに僕の意見を誤解されると困るので補足的に書くけれど、デフレを歓迎するという表現は前にもあるが、「再分配ができないのであるなら」という条件が付いてのもの。富の再分配が可能であれば、成長した方が再分配の原資が増えるので、それに対する抵抗も小さくなるし、企業の利益が増えて税収増につながり、財政赤字の解消も可能になる。税収が増えれば福祉や教育などの公的サービスも充実する。よって、重要なのは富の再分配ができるかどうかにかかっている。

高橋洋一さんが主張するように「経済成長と失業には密接な関係があり、経済成長しないと失業が増えるという「オークンの法則」(Okun's Law なお番組後、出演者から英語のスペルを聞かれた)を紹介し、成長なしでは人々の満足度は高まらないと説明した。」というのは、失業率という観点に限ればように思われるかもしれないが、この法則は人口が増えている世界を基準にしたものであるようなので、人口減少社会に突入した日本では違った視点が必要かもしれない。


高橋さんが「メインキャスターの橋本大二郎さんから、人口減少が進んだとしても、オークンの法則は成り立つのかと聞かれたので、成り立つと答えている。」と書いているけれど、これはおそらく橋本さんの指摘が鋭い。

彼の「オークンの法則が如実に示すように、経済成長は失業を減らす。そうなると、自殺率、犯罪率、生活保護率なども良くなる…経済成長は国民全ての所得を増やすことになるので、弱者を助ける分配問題においても、パイが大きくなるので解決が容易になる。」という意見を批判するつもりはないけれど、適度なインフレ下で経済成長して失業率が下がった場合、最低賃金の引き上げを含む適切な賃上げがなされなければ、特に低所得労働者の待遇が悪化する傾向はあるだろうし、労働時間が増える弊害だってあり得る。また、金融緩和で失業率が低下したにしても、現状で起きているのは正社員が減少して非正規社員が増えるという現象だ。また、分配に関しても、富の再分配が十分になされた場合にいえることで、日本の富の再分配が不十分である現状では、大きな改善が必要に思う。


(高橋さん)「金融緩和については、実質金利の低下、為替安などで民間部門の有効需要短期的に、長期的には効果累積額でみると大きく作用する。…略…財政政策が財政事情などで継続的にできない中、金融政策は継続的に実施しやすいので、金融政策は長期的に効果が出やすいともいえる。こうして、短期的な効果は財政出動の方が強いが、中長期的には金融緩和も効果が出る。」とあるけれど、金融緩和でもバブルの懸念から長期的に継続できるとは限らない。財政政策は税収に依存するが、再分配が適切ならより福祉や教育といった長期の公的投資が可能であり、その手法で成功しているのが北欧諸国であることは知られている。

また、トリクルダウンが生じないため金融緩和は富の再分配が十分になされていない社会では、マネーが上層で滞留するだけで、株を押し上げる効果くらいしかないということになり、北欧の社民主義国家における社会的市場経済の新自由主義経済に対する優位性がはっきりしている。

それでも失業率が下がるのは、いまの国際会計基準が、企業の利益に株式等で得た利益を含めることができるようになったため、実際は赤字経営でも株価が上がれば黒字とみなすことができて、新たに雇用を増やす動きに繋がることがあるのではないか?


(高橋さん)「マクロ経済学の基本的な理解があれば、財政出動とともに、金融緩和も失業を減らすということがわかるはずだ。そして、累積効果が大きくなる金融緩和の場合、インフレ目標は緩和しすぎないための歯止めだ。これは欧米先進国の常識でもある。」と書かれているのに対しては、実際に日米で金融緩和により失業率が下がったのは事実だから、それ自体は尊重するけれど、「インフレ目標は緩和しすぎないための歯止め」という意見には、インフレ目標は高すぎるインフレ率を抑制するためのもので、物価を上げるためのものではなかったという反論がある。

実際に日本では過去に原油高などで物価上昇があっただけで、金融緩和では物価は上昇していないようだけれど、再分配が不十分な国では、金融緩和だけでは目的の達成は不可能で、むしろ実体経済から金融経済が遊離して実体経済の何倍ものマネーが株価を押し上げるのみになりで、資本主義自体が破壊されるような結果をもたらすだけではないのか?

もし今の先進国の不健全な経済状態を健全化したいなら、成長余力のある新興国や途上国に、浮遊したマネーを移して、実体の何倍にもなった資本をそれらの地域の発展で吸収するしかないと思うが、今度就任するトランプ大統領は、その方向性の逆をすると見られるので、経済の破綻などをもたらさないか懸念がある。


(高橋さん)「最近の失業率の低下は、金融政策の効果ではなく、生産年齢人口の低下のためであるという議論もあるが、これは、人口減少だからデフレになると同じくらい、間違った考え方である。それは、生産年齢人口が増えていた以前のときのほうが失業率が低かったことからもすぐわかる。」という意見に対しては、以前は日本の製造業に力があり、世界中に家電や自動車を生産して輸出し、世界を席巻していた時代だったので失業率が低かったわけであって、同じ時期に米国や欧州では高い失業率が問題になっていたので、特殊な状況を例示しているだけだろう。

人口減少だからデフレになるということを間違いと解釈されているが、人口が減少すればモノが売れないため価格競争により物価が下がっていた日本の実状を否定している。もちろん中国などから安い製品が入ってきたり、生産効率が上がることで物価が下がるという側面もあるが、それは製造業にのみ言えることで、日本のデフレは外食産業や弁当などにも及んでいて、そこでの異常な低価格は価格競争の結果であろう。

僕はデフレの原因が、人口減少や人口構造の変化においての需要の低下とそれに伴う過剰競争の結果であり、同時に富の再分配の不足により、低所得層や低年金者がモノを購入できないため、一定の人口のあるその層にモノを売るために低価格競争を強いられた面もあるだろうから、富の再分配で需要を喚起することが改善策となることを主張していた。


(高橋さん)「失業率と生産年齢人口の推移をみれば、最近の失業率の低下は生産年齢人口の低下とは結論付けられない。失業率は、労働力人口から就業者数を引いたものを労働力人口で除して定義される。労働力人口は「15歳以上の人口」であり、生産年齢人口は15歳以上65歳までの人口。両者はパラレル概念だ。労働力人口(生産年齢人口)が減少するとき、それを所与とし、経済状況によって就業者数が決まってくる。なので失業率は分子も分母も労働力人口の動きを見込んだものとなって、景気だけに左右される。」とある。

まずは、「失業率は、労働力人口から就業者数を引いたものを労働力人口で除して定義される」だけれど、完全失業率は、仕事をしていない人ではなくて、仕事を探している人を基準に算出されるものなので、高橋さんの失業率の定義は便宜上のものでしかなく正確ではない。

その後の理屈は、論理としては正しいかもしれないけれど、現実には即していないと思われる。

今の日本の高齢者が増える中での人口減少という状況では、

(労働力人口ー就業者数)/労働力人口

という式でパラレルだから分母分子ともに減って人口減が関係ないという理屈らしいけれど、実際は、少子化の影響で労働力人口は急激に減っているものの、高齢者が多いので経済を維持するための就業者数は(技術革新が今後なされない限りは)それほど減らないため、分子の方が小さくなることにより、この便宜上の失業率は小さくなる。

要するに、いまの日本の現実においては、論理的には人口減少が失業率を下げているという考え方は必ずしも間違っていないのではないかということになる。


(高橋さん)「日銀は金利管理に移行した。…この方式では金融政策が財政依存になる。…そうした状況では、財政政策の出番(国債発行)であり、そうなれば、財政・金融一体発動になって、日本経済に好都合となる。…幸いなことに、日本の財政問題も、現時点で考慮しなくてもいいくらいだ。…国債を発行して財源調達すべき分野も、法律改正が必要だが、教育など未来への投資と言われる分野で多い。金利環境がいい現在は、未来への投資に事欠かない状況である。」

これに関しては、財政問題が考慮しなくてもいいのは「現時点」であって将来でないことが問題であろう。未来への投資は必要だが、財政規律は無視できず、高齢者や弱者の福祉はそれ以上に重要だ。

そういった観点からすると、実体経済を無視したかのような、金融緩和で膨れ上がった富裕層の膨大な資産(無貯蓄世帯が増えているのに、金融資産は数年で1200兆円から1700兆円まで増えている)に課税して、財政規律を正常化するのが筋だが、理解が得られないのか、手が付けられていない。それらの一部を使うだけで、大学までの無償化(年3兆円程度だったはず)や、弱者の救済などが可能になる。


(高橋さん)「朝日新聞の論評が文中で言及しているシェアリングエコノミーは経済成長を促進するものであるため、朝日新聞の主張は支離滅裂になっている。」とかかれているが、何処に着目するかで違った結論になる類の批判ではないか? シェアリングエコノミーはネットなどを含んだサービス業においては経済を成長させるものの、製造業や建築業という観点からは、購入することなく皆でシェアするため、そちらの経済は小さくなるだろう。

世界中が成長していて、70億人がある程度豊かな生活ができるようなこれからの時代には、物質には限りがあるので、シェアの観点は欠かせない。両者も僕も他も、シェアリングエコノミーには肯定的だと思う。

懸念があるとしたら、何らかの要因でシェアできなくなったような孤立したひとが存在した場合、社会は見過ごすようなことがあるかもしれず、そういった観点からの人道的な救済ということが、いまの日本社会で十分議論されていないように感じる。

レーガノミクスの論理的間違いが無視されてきて、その歪みが露わになった昨今に叫ばれる資本主義の怪しさにより、経済学が支配のための道具であることが露呈しているけれど、一市民からすれば、貧困がなくて、誰でも教育や医療、福祉が受けられる社会であれば何でも構わないという感じはあって、その方向で経済学が動いていないのが問題だと思う。

(高橋洋一さんのような元官僚さんだと、野党に対する自民党の答弁書を書いたりするからか、割と正しい理屈の反対で、一般人が説得されるようなことをいうので、ちょっと皮肉かもしれないけれど、たいしたもんだと感じる。)


補足:これは高橋洋一さんを批判することが目的ではなくて、読んだときに意見がほとんど反対なのが興味深かったことと、そのことを書くことによって、かねてからの自分の考えがわかりやすくなるので、それを目的に記述したものです。












ベーシックインカム案 (180228)


ベーシックインカム案

理想を追うのは必要なことだが、なるべく多くの人が救済される仕組みを現実的に可能な範囲で模索することも、実際には社会に求められるのではないかと感じる。

仮定の話だが、ベーシックインカムとして住宅支援3万円+世帯人数×3万円×12ヶ月を実施した場合を想定する。

単純計算だけでは5340万世帯かつ1億2711万人なので、1億8051万×3万円×12ヶ月≒約65兆円必要になる。これは単純計算しただけの場合である。

就業者数は6542万人なのでそこに一定所得を超えたところから3万円課税して3万円返すことで、実質的に課税にはならない。また、このベーシックインカム案だけでは生存権としては不十分なので生活保護制度は存続するとして、加入者である164万世帯かつ212万6千人(予算3兆7千億円)からベーシックインカムの部分は重複するので差し引きして計算する。

18051万人−6542万人−(164万世帯+212万人)=11133万で、3万円×12ヶ月をかけると約40兆円になる。(一定所得としたが、低賃金の場合はある種の累進的な課税として3万円より安い税額とすべきだろう。)

国民年金の総額が22兆円なので、基礎年金をベーシックインカムに置き換え、児童手当の予算約2兆円も充当した場合は、40−22−2=16兆円。もしそれを消費税だけで捻出したとしても、消費税1%で税収が2.6〜2.4兆円といわれているので仮に2.6兆円で計算すると約6%の消費税分になる。

消費税である必要はないが、高等教育(大学・大学院)の完全な無償化に必要な金額約3兆円を加えても、単純な計算だが現行の8%の消費税分で無償教育と低額のベーシックインカムが可能ということになる。

現行の予算の範囲での話であり、財源を消費税に求める必要はないのだから、消費税のような逆進性の強い税では無い他の税制を利用した場合は、国民の負担感はより小さくなるかもしれない。

この規模のベーシックインカムの場合は、日本が特に弱い公的住宅政策で中古住宅の活用などを十分にするなど、低所得でも居住できる条件が広く整えば、地方などでは何とか暮らしていけるギリギリのレベルということになる。

問題は憲法25条の健康で文化的な最低限度の生活の基準であるが、それは現行の生活保護制度の「基準」を維持しつつ、必要性があって既に生活保護を受けている場合は、ベーシックインカムの上に一定条件で補助をのせて現行の水準の制度は維持でき、その上で(例えば現行の児童手当と同様の発想で)一般市民全員への補助的給付としてベーシックインカムを捉えるということであれば、制度上での憲法との整合性を図ることは可能だ。

この場合、ベーシックインカムだけで「健康で文化的な最低限度の生活」という基準を満たすことを目的にしないで、そのための補助として捉えるという考え方である。

前述の程度だとベーシックインカムだけで普通に生活するには不足するため勤労者である市民は仕事は続けることになるが、それはベーシックインカムにより働かなくなるのではないかという一部の懸念は払拭でき、もしそれぞれが不測の事態において失業状態になった場合でも、生きていくための保障がある状態は社会保障として一定の機能があるということになる。

安心して生きるベースとなり得るベーシックインカムは、現在の社会においては必要な概念であることは確かだ。

(補足)
前述のベーシックインカム案では、生存権のための生活保護は存続するので、事情があって生活できない場合は、ベーシックインカムの上に生活保障のために扶助的に上乗せが可能という構造になるようにしている。高齢者の場合は無条件で(もしくは厚生年金や共済年金に加入していない人には)月1万円以上の上乗せがあっていいだろいう。
また、現行の年金カットのためのマクロ経済スライドは廃止して、物価スライドを導入する。



全ての人に基本的人権は存在します。

誰でも健康で文化的に生きる権利はあります。これは生存権だけれど、その他、人格権や言論の自由も公共の福祉を前提にあるのです。














公共の福祉 (180228)


公共の福祉

公共の福祉の意味については、争いがある。尚、現行憲法では「公共の福祉に反する場合」国民の基本的人権(言論・結社・身体の自由等)を制限できるので、極めて重要である。

・一元的外在制約説
・二元的内在外在制約説
・一元的内在制約説
・近時の学説


一元的外在制約説 (公共の福祉)
憲法12条、13条の規定により公共の福祉を最高の観念とし基本的人権を制約するという説。22条・29条の公共の福祉は特別の意味をもたない。
「公共の福祉」を外在制約というかたちで社会全体のために人権の外側から制約するという考え方には、法律による人権の侵害および自由の制限に繋がる問題がある。
(「法律の留保」という明治憲法29条の表現の自由を法律の範囲に制限する悪しき前例がある。)


二元的内在外在制約説 (公共の福祉)
経済的自由権(憲法22条・29条)および社会権(25~28条)の規定のみ、外側から公共の福祉が人権を制約できるという説。その他の権利は社会的に内在するので事前に抑制することは許されず、事後に公正な手続により裁判で抑制することだけが許される。この説では憲法12条、13条は訓示的規定に過ぎず人権制約の根拠とはなりえないとされるが、13条の幸福追求権から新しい人権を生みだすことができなくなる弊害がある。

一元的内在制約説 (公共の福祉)
内在制約では、「公共の福祉」はすべての人権に内在して人権相互の矛盾を調整するための公平の原理で、自由権の制約を最小にし(自由国家的公共の福祉)、社会権を保障する(社会国家的公共の福祉)。
人権を制約する立法の合憲性は違憲立法審査によって行われ法令以外で人権は制約できない。しかし、具体的な基準は法令の集積に委ねられるため曖昧で、外在制約説と大差ないという批判がある。そのため違憲審査基準のための以下の理論が提唱されている。人権相互の矛盾を秤にかけて評価する比較衡量論。また、二重の基準の理論は、精神的自由権と経済的自由権を対比して、精神的自由権等の重要な人権を制限する立法は他より厳格な基準で審査されるべきとする。

自由国家的公共の福祉 (内在制約説)
形式的公平・内在的制約・消極目的規制ともいわれ、「各個人の基本的人権の共存を維持するという観点での公平」であって、具体的には、『国民の健康・安全に対する弊害を除去』を目的とする制約」と解するのが多数説であるが、「他人の権利を害さないことと、基本的憲法秩序を害さないこと」を目的とする制約、と解する有力説(芦部)もある。そして、自由国家的公共の福祉は、内心の自由を除くすべての人権に妥当するとされる。 (Wikipedia「公共の福祉」より)

社会国家的公共の福祉 (内在制約説)
実質的公平・政策的制約・積極目的規制ともいわれ、「形式的公平に伴う弊害を除去し、人々の『社会・経済水準の向上』を図るという観点での公平」と解するのが通説である。例えば、弱者保護や社会経済全体の調和ある発展のための規制である。(Wikipedia「公共の福祉」より)


近時の学説 (Wikipedia「公共の福祉」より)
人権の制限根拠を人権相互の矛盾・衝突の調整に限定せず広く認めた上で、より詳細な類型論によって公共の福祉の意味を限定しようと試みられている。

長谷部恭男は、人権を制約する根拠となるのは、かならず他の人権でなければならないとの前提は、『人権』という概念をよほど拡張的な意味で用いない限り理解が困難であり、すべての規制が公共の福祉という概念で一元的に説明がつく一方、公共の福祉を名目とする国家による規制をも無制約とする危険をはらんでいると批判している
。
(長谷部恭男「国家権力の限界と人権」『憲法の理性』(東京大学出版会、2006年)63頁以下)

佐藤幸治は、内在的制約原理と政策的制約原理を区別し、いずれの原理が指導原理となるかは各基本的人権の性質に応じて決まり、22条と29条とは後者の制約原理が妥当する機会が多いことからとくに再言されたものと解し、さらに、22条の移転の自由は内在的制約のみに服するとしている。 
(佐藤幸治『憲法〔第三版〕〕』(青林書院、1995年)403頁)

浦部法穂は、
(1) 他人の生命・健康を害する行為の排除
(2) 他人の人間としての尊厳を傷つける行為の排除
(3) 他人の人権と衝突する場合の相互の調整の必要
という人権の観念それ自体から導かれる内在的制約のほか、経済的自由権には政策的制約があるとしている。
(浦部法穂『憲法学教室〔全訂第2版〕』(日本評論社、2006年)84頁以下)

高橋和之は、人権制約はすべての個人に等しく人権を保障するために必要な措置と捉え、人権衝突の調整のほか、他人の利益のために人権を制限する措置や本人の利益のために本人の人権を制限する措置も公共の福祉に含まれるとする。
(高橋和之『立憲主義と日本国憲法〔第2版〕』(有斐閣、2010年)111頁以下)

内野正幸は、公共の福祉の内容として
(1) 他者の権利・利益の確保
(2) 本人の客観的利益の確保
(3) 公共道徳の確保
(4) 経済取引秩序の確保
(5) 自然的・文化的環境の保護
(6) 国家の正当な統治・行政機能の確保
(7) 社会政策的・経済政策的目的の実現
を挙げる。
(長谷部恭男(編)『リーディングズ現代の憲法』(日本評論社、1995年)47頁〔内野正幸〕)

渋谷秀樹は内野の7類型を整理して
(1) 他者加害の禁止
(2) 自己加害の禁止
(3) 社会的利益の保護
(4) 国家的利益の保護
(5) 政策的制約
の5類型とし、(1) (3) を内在的制約、(4) (5) を外在的制約、(2) をこれらと異なるパターナリスティックな制約とする。
(渋谷秀樹『憲法』(有斐閣、2007年)159頁)

初宿正典は、人権相互の衝突の調整を根拠とする人権制約を「公共の福祉」とは別の問題であるとしている。
(初宿正典『憲法2〔第3版〕』(成文堂、2010年)49頁)

 ーーーーー

(私見 2018年2月27日の内容を、3月28日に修正。どうも意図がズレた記述になっていたようだ。)

そもそも「公共の福祉」という言葉はそのまま理解すると、社会全体の幸せや安心であり、公による扶助により社会の構成員の誰もが幸せな生活環境を得ることだ。

憲法においては人権相互の衝突を調整するという意味が重要な位置付けを占めるようだが、これも局所における直接の対人関係の問題に限局することなく自由権に基づいて、国家から制約されず基本的人権を尊重する立場の立憲主義に則った法の下で、自由に思考し自由な言動ができる権利が保障されたなかでの人権相互の調整と、社会権に基づいたあるべき権利である基本的人権(生存権、十分な生活水準への権利、教育を受ける権利、労働基本権、社会保障の権利など)が社会を構成するすべての人に保障されているかについて、社会全体での公正な分配が機能していない場合には、誰かの生活環境が生存権や健康権などの基本的人権の侵害のある状況となっていないかという配慮まで含まれるものと捉えることができ、そのための経済的自由権には生活が十分にできる範囲を保障する一定の制約をつけて、それ以上においては再分配が可能であるということが、公共の福祉における人権の尊重という概念から求められるはずだ。

補足:自由権に関しては社会権を尊重する必要があるということになるが、公共の福祉という複数の人が社会を共有するために必要な理念の下で人権相互の衝突を調整するという意味からも、また、共有している社会で誰かが誰かの犠牲により幸福を得るということが人権相互の衝突の可能性がある限りにおいて、その調整が必要であることは論理的にも倫理的にも整合性のある概念だろう。その場合も国家の介入が過度な自由権の侵害にならないための法的な措置は、基本的人権の尊重と立憲主義に基づいてなされる必要があり、その合憲性は違憲立法審査により確認されることになる。
















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