リベラル(中道左派)の理念
2015.01.16 160608更新 



リベラル(中道左派)の理念

※このホームページの文章と写真等のデータ、及び僕僕のツイッター(リツイートした他者のデータ以外)の内容は利用フリーです。(このホームページには、HTMLを見てもらえば分かりますが、CGIなどのプログラムは埋め込まれていません。)

目次
はじめに
リベラルとは
僕のリベラル思想の基本原理
透明なベール
三諦偈 (東洋思想で理想と現実をつなげる)
本来のリベラル
なぜ弱者を救うべきなのか?
続 なぜ弱者を救うべきなのか?
なぜ倫理的であるべきなのか
オキシトシンとセロトニン
負の遺産としての場の空気と人口問題及び格差社会
未来社会における理想的統治とは
理想社会
格差是正のための教育無償化
真の経済政策
未来社会
その他



はじめに

何が正しいかを求めることは、反証可能性の追求とも言い換えられる。論理的に正しいことを証明するために論理を追及する手法は、合理化(正当化)となりうるので不十分である。 自説への反証(説が間違っていると証明すること)可能性を追求し続けることで、説の正しさを証明する手法が望ましい。(2015年1月15日のツイート)

2014年11月04日(火)の70ツイート 内に「電磁波犯罪と運命操作」の22ツイートと、教育に関する12ツイートがある。 運命操作の方は、全てではないが過去のポイントがまとまっている。
教育の方は僕が一番主張したいことを簡潔に書いている。ただし、安倍内閣の中教審の素案「人物本位の大学入試改革」は賛同できないものが多い。電磁波による妨害により、そのことは記憶から消され行動も抑制されてリアルタイムでは何も書けていない。


このページは、ツイッターに書いた(一応)長文をまとめるつもり。いまは記憶消去を含めた妨害がひどい。


ここは2015年1月13日にツイッターから重要部分をそのまま移した。書き換えられないように、ほとんど手を加えていない。主に文字数制限のあるツイッターで書いた文章なので、語尾が丁寧でなかったり、表現がストレートすぎたり、集団ストーカーによる電磁波犯罪(用語説明参照)の圧力の影響でやや攻撃的になっている部分があるものの、そのあたりは御理解ください。


誰かの脳同期の影響があるかもしれないけれど、ツイッターの日付での同期者がどういう人かは、多少は推測できると思う。ただし安易にカルトや日本会議のメンバーだとは断定できない。そう見せるために、もう一枚何か遠回りにしている可能性もある。僕の価値感に右翼の要素はありません。(←160531追記)



※(160501追記)〜
ここのページは、やっぱり補足が必要だ。

僕は穏健な中道左派だと自覚しているが、日本で民主主義が本当の意味で根付いていないことに憂慮している。

理由は支配側の問題や一般市民の認識の問題、文化風土のことなどいろいろあると考えられるけれど、最後の文化風土の方に即して、中道左派の弱者救済や平等などの理念から民主主義を定着させるには、この国にもともとある哲学や思想に西洋由来の思想を繋げる必要があると考える。

その結果としての以下の僕のツイッターから引用した記述があるわけだけれど、僕が権力の電磁波兵器を用いた弾圧被害にあっているため、説明不足と勉強不足で十分な内容を書けていなかったり、暴走させられていたり、ツイートなので簡潔な表現に終始していて、HPに移すときに加筆訂正すべきなのにできなかったりする問題はあるけれど、それでも、自分の意図はそれなりに伝わるものになっていると思う。

再読もできない被害状況なので確たることはいえないけれど、どこかで時間をとって、加筆訂正したい。できれば勉強もして十分な内容の別ページを作りたいが、とにかくテクノロジー犯罪(用語説明参照)の被害で妨害が多くてできない。しかも、中道左派の僕をなんとか右翼や保守に見せたがる権力か何かが存在しているという問題もある。


このページの補足は「誤解を避けるために」のページの(イデオロギー・グラフ)リベラルの理念に関してにも記述があります。
〜※


※(160531追記)〜
ちなみに本音では海外で戦争神社と揶揄される靖国神社には否定的で国立追悼施設を作るべきと考えるが、その場合でも民主主義の議論を前提とすべきで、その議論がなされていないのは残念だ。 靖国は批判されないような論理的仕掛けなどをして戦犯を弔うための特殊な位置づけにでもすればいいのではないか。

選択的夫婦別姓には賛成している。夫婦同姓を強制する国は、範囲は分からないが欧米やアジアのなかでは日本だけになっていると新聞などでも書かれている。選択できるのだから反対する方が同姓を強制することになり問題だろう。

人口減により社会保障制度が将来危ぶまれている。社会保障のカットが生活がギリギリの低所得者に及ぶことを防ぐには人口を維持するか、生産性をいまより遥かに高くする必要がある。生産性をあげるには、短時間かつ少ない人数で同じ量を生産するわけだから需要が大幅に増えない限り雇用が減る問題があり単純ではない。よって問題解決するためには移民導入に賛成する。

ただし日本語能力を条件にして欲しいと考えており、ネットなどを通じて日本語教育を海外で普及させるべきだろう。それでも問題が改善しないだろから、生産性の向上のためにロボットや人工知能を使った場合に、そこに課税するなどして税収を増やして社会保障を充実させるだとか、高い生産性と雇用の両方を維持するために短時間労働でのワークシェアリングを導入することを提案したい。

僕は権力による組織ストーカーとテクノロジー犯罪(用語説明参照)の被害を受けている。この犯罪は妄想ではなく実際に存在するもので、どうも被害者を右傾化させようとしたり、保守系に見せようとする傾向があるらしい。この犯罪はリベラル派を主張するとゲイ戦略をしてくるが、リベラルを貶めるのはリベラル派ではなく保守派だろう。LGBT差別には反対するし人は平等であるべきだが、僕は異性愛であってゲイでもホモでもありません。男性によるセクハラには反対します。女性ならいいとも言っていません。

普段は格差是正と平和を言っているが、それだけだと左派と認識されないのもおかしいけれど、百歩譲って右派がそういった左派政策をいうならありがたい。


リベラル派はフランス革命の左翼にあたり、理念としても左派系なのは確でだし、この認識だと反共国家だった米国側の左派も味方にできるので、敵が減って平等政策を導入しやすくなるのではないかと考える。

僕がリベラルを言ったのは、民主党政権ができることを前提としていた時期で、その意図は無党派や中道色の強い人たちに、格差是正や平等などの政策に賛同して欲しいから。欧州や英国の社民主義や米国の民主党の欧州より価値観の人たちに近く、日本の左派に経済の観点を入れたら長期与党が可能と思った。 リベラル派だと平等を主張しても全体主義には繋がりにくい利点も存在する。

それから、裏が天皇制を支持しろと仄めかしてくる。この仕組みは過去の情報を総合すると、元々は米英の方が関係しているのではないかと感じるが、それなら天皇制の維持を決めたのは米民主党なので、皮肉なことにリベラルの方ということになる。向こうの基準だと保守側の共和党は共和制なので天皇制とは相性が悪いだろう。日本ではリベラル左派ですらない左翼と言われる共産党でさえ多党制の民主主義と天皇制を容認している上に、象徴天皇制を謳う憲法を一番守っている。なにか3重に皮肉に感じるけれど、矛盾しないので悪くはない。

一部のひとに誤解される場合があるので書くけれど、リベラル派なので福祉軽視のネオリベには反対していた。日本の左派は消費税反対なので、欧州より米国に近いようなネジレもありそうで、マルクスでなければロールズの社会的公正の理念に近いかもしれない。 実際に累進課税を重視するのは欧州よりもかつての英米側だったこともある。

いまの英米はネオリベが行き過ぎて格差社会だが、それは日本も同じ。 時代をリベラル方向に巻き戻して、労働環境をしっかり守るのであれば、経済の自由は容認して、その代わり再分配や同一労働同一賃金には産業界に理解を求めるべきと考えていた。
〜※





リベラルとは

リベラル(liberal)の原義は「気前がいい」であり、そこから「寛大な,度量の大きい,開放的な,偏見のない」、さらには「自由な」の語義が生じ、「自由主義の」「進歩的な」という意味が生まれる。

ちなみに進歩的という表現は社会主義的、左翼的という意味だったが、改革が新自由主義を意味するようになった昨今はあまり使われなくなった。2008年のリーマンショックから資本主義の停滞が続き金融政策による偽の資本主義も行き詰まっている現状においてピケティが登場したことは、進歩的という言葉の再生があるのかもしれないという期待を抱かせる。(150116、18追記)


リベラル (自由と寛容) (2014年5月30日のツイートから)
リバティやフリーダムのような解放を含意にもつ勝手とは異なる。権力の拘束からの自由を意味し、一部の人に富や権力が集中することを否定。権力からの自由は平等と矛盾せず、むしろより平等思想的。新自由主義は権力側の自由なので否定。多様性を尊重。

ワンワールド支配を否定
ここで否定したワンワールドとは、陰謀論における「世界統一政府による地球レベルでの管理社会」を指す。(新世界秩序 - ウィキペディア参照)。 第二次世界大戦後に「チャーチルが破滅的な世界大戦を避けるには国民主権国家を廃絶し世界政府の管理による恒久的な平和体制の実現が不可欠である」と言ったことが事実かは分からないが、万が一本当であると仮定した場合、新世界秩序のうちの世界政府による管理の問題のことを否定したのであって、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が提唱した国連そのものと、民主的な国連のあり方、および恒久平和の否定はしていません。そもそも僕は独裁や全体主義全般には否定的で民主的な社会を志向しています。 (150116、160531追記)



(2014年5月22日と5月30日と7月7日のツイートから)
リベラリズムの多義性(思想 2004年第9号)引用ページによると「現代のアメリカ合衆国では、政治の用語としてのリベラリズムとは政府による再配分や福祉国家的施策を支持する立場をさすことが通例である」とある。リベラルの目的を見失うことなく、現代の問題に如何に解決策を見出すかが求められる。

下の図はノーラン・チャートを参考にしてつくったもの。「リベラル」≠「リバタリアニズム」≒「新自由主義(ネオリベ)」ということがいえる。



リバタニアンの「ノーランは左下の領域に位置する政治哲学をポピュリズムと呼んだが、多くの人々は代わりに権威主義あるいは全体主義と呼んだ。」(ノーラン・チャート - ウィキペディア




1789年のフランス革命の際、国民議会の座る場所が、右側の国王の拒否権を主張する王党派(保守派・守旧派)と、左側の国王の拒否権を否定し特権を廃止した普通選挙による一院制を主張した民主派(急進派・改革派)という、席の場所の左右が右翼・左翼の由来である。ちなみにフランス革命で急進的な左翼が独裁と恐怖政治に陥って失敗したことから、急進的な改革を否定する保守派の論理も生まれている。(160531追記)

20世紀においては

 「左の全体主義=共産主義」対「リベラル」対「右の全体主義=ファシズム・ナチズム」
が成立した。

リベラリズムの多義性(思想 2004年第9号)を参照。引用ページ

この場合のリベラルという用語は古典的な自由主義を意味する。


日本の戦後は、左派を共産党と社会党だけにして、民主主義を主張するリベラル派を保守派が取り込んだことで、自民党の長期政権が続いたことから、本来は左派とみなされるはずのリベラル派も保守に属するという見方がなされることがある。
現在では、民主主義自体は左派も右派も受け入れているため、民主主義を主張するリベラル派というだけで左右どちらかという意見は不毛だが、本来の由来からすると、反権力の弱者の側であるリベラリズムは中道左派の色合いが濃いのは確かと思われる。リベラル派を保守とみなすのは政治的な都合であるが、実際のところ日本の保守ハト派とリベラル派は政策で重複するところも多い。(160531追記)

第二次世界大戦と冷戦が終結して現在までは、自由主義陣営が共産主義に対抗して築いた福祉国家を、新自由主義が侵食している。

「近年、アカデミズムのレベルではアメリカ的な意味での「リベラリズム」がイギリスなどでも浸透している」(集中抗議!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険 仲正昌樹 P253)ここでいうアメリカ的リベラルとはロールズに代表される平等の原理をいう。

リベラルという言葉が福祉国家を表す社会民主主義的であることにより、平等や公平を前提とする政治的立ち位置は社会民主主義≒リベラルと定義できる。

新自由主義に対しては、リベラルという立場とは逆の、国家主義的な保守の立場から反対する人も多い。ただし、日本においては保守側である自民党の中曽根、小泉、安倍政権により新自由主義的政策が推進されてきた。維新の党は保守やリベラルのフリをした新自由主義政党である。

以上から、現状では

 「リベラル」対「新自由主義」対「保守」

という構図が成立していることになる。
(150116)

一部でネオナチ的な動きが警戒されているが、ネオナチ的勢力は新自由主義を導入するための道具として利用されていると考えても差し支えないだろう。その場合は 「リベラル」対「ネオナチ」 という構図が成り立つ。

ネオナチという国家主義的差別主義の極右が高齢化している日本で見える形で台頭するとは思えないが、それは表向きの話であり、アベノミクスの結果が示すように格差が拡大し、弱者を支える仕組みが弱体化して社会の底が抜けていくときに、ステルス化され電磁波犯罪などを用いた見えない弾圧がある可能性を知るべきと思う。

それが見えない中流以上の人には比較的幸せな生活があり、その下に格差により苦しむ低所得層が存在し、さらにその背景に不可視化された悲劇があるという「ディストピア」に我々は生きているのかもしれない。

この危機を克服するのは、上の構図でも分かるように、リベラルで透明化された社会における本物の民主主義ではないだろうか。
(150118記述)

※ここでのネオナチという表現はいき過ぎたものであり、そこは間違いだったことを訂正します。(160531追記)


現状では新自由主義の潮流は後退しており、世界で格差が問題とされその是正に向かっていることや、東アジアの台頭とシェールオイルにより米国の中東への関与が小さくなって時代が大きく変わっていく現状において、平和主義の重要性がますます高まっており、政府の立憲主義違反に社会がどのように対応し、同盟国との関係悪化を回避しながら、戦争への関与を避けるという難しい舵取りが政治に求められているが、このような時期に民主主義が後退していることの恐ろしさと、再び民主主義が戻っていくだろう期待が交錯している昨今ではある。(160531追記)


※(160531追記)〜
リベラルと保守の関係だけれど、経済界は国家権力による課税や規制を嫌うため国家を弱体化しようとする傾向があり、それに対抗する王家や国家の方が経済界と闘うリベラル派や左派と相互依存関係を築くというネジレも発生しやすい。

フランス革命の後の欧州でもそういう構図はあったというし、昨今の欧州でも右翼政党や左翼政党の躍進があった。昨今のアメリカの新自由主義の小さな政府を否定する左(サンダースやヒラリー)右(トランプ)の構図も近いかもしれない。

2016年5月31日現在の朝日新聞に米大統領戦にリバタニアン党が大統領候補を指名したという報道があるが、草の根民主主義といえば市民社会のためのリベラル左派の動きだったが、右派のリバタニアン党が草の根の動きをしているが、過去のような格差是正のために暴利を貪る大企業や富裕層に負担をもとめるリベラル左派とは異なり、裕福な米国では課税を嫌って小さな政府を要求するような動きが草の根で発生しているらしいが、支持者は富裕層だけだろうか? 低所得層が含まれるなら騙されていると思われるが、上記とは異る新しい動きと手法が導入されていることが分かる。米国だからこその動きであって、他ではあり得ないだろうと思いたい。

大企業が力を持つ現代社会においては、マネー権力に民主主義がどのように対応するかが課題だが、従来の労働運動に基づいた社会主義の構図の他に、民主主義を徹底するリベラルな改革における、情報公開やオンブズマン制度、企業団体献金とパーティ券の禁止、民意に即したお金のかからない選挙制度などの徹底もその手法のひとつになる。どちらが望ましいというのではなく、上手く両者を組み込んで理想に近づけることが望ましいと思う。

前者の例としては高い労組の組織率に基づいたスウェーデンモデルは有名だが、スウェーデンのような大企業中心の経済でも労組が強ければ平等な社会で発展できることを示している。後者の成功例としては近年のドイツやオランダがそれに当たるのではないか? どちらも豊かで比較的格差の小さい社会を実現している。

政治においては保守権力の顔をしているグローバル資本に対抗するという意味では、反グローバル保守も左派社会主義もリベラル派もアプローチは違えども共闘できる部分はあるだろうけれど、現状の権力とつるんだグローバル資本に関しては巧みな手法を用いているため、反対派による過激な行動への見えない危険性は認識しておいた方がいいと思われるが、穏健な手法での主張は今後もしていくべきだろう。

経済中心の格差の大きな社会に対して、労働運動もしくは民主主義がどのように対応するべきかという課題解決は、同じ目的を有する側の協力が不可欠と考えるが、OECDが格差は経済成長の阻害要因であるというレポートを出しており、格差是正に対しては大企業が必ずしも敵とすることなく、倫理的観点から言うべきことは言い、あらゆるチャンネルを使って社会問題を解決するような手法が望ましい。企業の社会的責任(CSR)なども今後より重視する姿勢が求められるだろう。
〜※




補足(160608追記)

リベラリズムや左派は下から権力を批判するのに対して、保守派や右派は内から外を批判する。

内においては、保守派は権力につく傾向が強く、左派に限らず市民やリベラリズムの側は本来は保守系とは対立関係にあるが、保守ハト派であれば中間的な立場だろう。もちろん保守派にも左派等とは違う形の反権力もあるらしい。

保守派は急進的な改革をしないのが左派との違いといわれるが、21世紀においては左派に革命のような急進性が無くなり、民主主義と穏健な労働運動の手法で社会を良くすることを目指す手法がメインになっているので、急進的か漸進的かで保守かリベラルか左派かを分けるのはナンセンスとなっていると思う。

当然ではあるけれど、理念的で理想主義である左派に対して、右派は現実主義だがその現実とは権力目線であることが多いように思う。そのため現実が政治権力や資本の弱者を顧みない態度により不条理な格差社会となっている現在の日本や世界を良くするためには、左派やリベラル派による民主主義の徹底と再分配策が必要だろう。

  ーーーーー

上の短い説明を書いた後に、朝日新聞(160608朝刊)を開いたら「憲法を考える 自民改正草案 「保守」の論理(中) 近代立憲主義と別の憲法観」で保守派の佐伯啓思さんの意見が書かれていた。

(実は佐伯さんは僕の天敵に近い人で、なぜリベラル左派の雄だった朝日新聞が、保守派のひとの別の定期コラムを毎月掲載しているか分からない。保守タカ派の安倍総理と産経新聞の圧力でトップ交代しているから、朝日が右傾化しているのかもしれないし、それならいまの政府は危ない。紙面には左派系の内容もあるのでバランスをとっているのかもしれないけれど、あそこまでの保守派のコラムを載せるなら、社会主義者のコラムもなければバランスが悪い。)

それを読んで思ったのは、保守派や右派は現実主義であるということが欺瞞であって、保守派が既に壊れてしまった地域共同体を理想化しても、実は壊れる以前だって姨捨山に象徴されるようなことがあり得るものだったのに、そういう現実もいま現在の現実の問題も解決策を考えることなく、中道左派系による問題解決のための必要な税を用いたシステムを否定するのは、共産主義がユートピアを夢見るのと同じように現実主義ではないのだろうということ。

共産主義は現実社会の矛盾を理想的に解消するための思想だから、急進的な革命により流血の事態がないという観点を前提とするなら否定はし難いが、流血を含む戦前の経緯があって、既に政策は穏健な社民主義になっていても、党名がそのままであるせいか、いまだに時代遅れな公安警察の監視対象なので、何故か監視対象にされている一般市民である僕は、それらの権力の暴力による事情に配慮せざるを得ないものの、社民主義〜社会自由主義を前提とした民主主義の価値感は守るべきと感じる。

むしろ逆に保守派の理想では現実の社会変化に対応した適応を否定して、時代の変化による社会システムの不備を改善するのではなく、もう戻ることができない昔に戻そうとするようなところがあるので、それでは人々は救われないだろうと感じる。

現実と理想をつなぐ必要があるだろう。







2014年9月5日のツイート(2016年5月31日に補足修正)

僕のリベラル思想の基本原理

人は遺伝レベルから社会的存在であるため自然と周りと協力して生活するいきものである。よって原初状態において公平性に基づく平等が導き出されるのは自然なことである。

すべてのひとが高度な知性を有しているわけではないので、実社会の経験から離れられない一部の深い思慮を前提としない者による安易な原初状態の仮定から、公平性に基づく平等を否定することは軽率な行為であり、原初状態の理想的な自由と平等意識は、そうではない社会を経験してしまった者たちが安易に想定できないだけであるため、そういったひとの思考の限界への配慮までできる者でなければ仮定としての無知のベールを具体的には想定できないと思われる。

よって、安易に無知のベールを仮定して、それにおける平等を批判するのは、人間の進化の結果である社会性の否定に繋がる危うさを孕み実態的には誤りとなる。

ロールズは原初状態を無知のベールを用いて仮定するが、これはベールを上げたときに現れる社会の実体においては、上記のような無知が失われない情報の格差が存在するため、僕は無垢のベールを提唱したい。

無垢とは子どものような煩悩なき純粋さを意味するが、子どもは人類の原初状態を一部に体現していて、小さな子どもほど社会を背景にした格差を認識しておらず、本来的に平等であり、誰もが体験した世界でもある。小さな子供は格差を学習しておらず、安い服も高価な服も区別しない。極端な例だとダイヤモンドもガラス球も区別しないのと同じだろう。言葉の違いも認識しなければ邦人も異邦人も区別しないし、位置づけの違いなどないに違いない。それが意味するところは平等ではないだろうか?

無垢のベールという想定は、ベールが上がると徐々に無垢さが失われるということであり、それは子どもが大人になる過程と似ていてより現実的でもあり、無知のベールよりも仮定は容易に思える。これは無知のベールを否定するものではなく、補完するつもりで書いている。

困っているひとがいたら、必要以上に所有する者は素直に自分の分をそのひとに分け与えるようなことを子どもは嫌がらない傾向があるだろうけれど、絶対にそうであるとはいえないので、無知かつ無垢のベールを想定することで、自分の置かれた社会的位置づけを知らないという仮定だけではなく、大人の狡さのない純粋な子どもであればという仮定を追加した原初状態の想定をしている。

人はいつまでも無垢ではいられないからこそ、そういった原初状態にある理念を尊重するためには煩悩がない状態を志向すべきで、強欲がなければ無垢な状態に近づくことができるだろうから、教育により意欲以外の欲望を滅する努力をすべきだと考える。それが理想を現実化する道である。

この考え方により、西洋で生まれた哲学概念を東洋哲学の最高峰である仏教思想と結びつけ、西洋の弱点を補完ことが可能となる。

ロールズの格差原理は、最も不遇の者が恩恵を受ける場合にのみ格差は容認できるという論理で、その前提においては社会的に許容される最低限の格差を否定しないが、これは機会の平等を基本とすると同時に、容認できない格差には積極的な再分配による是正措置を求めるものでもあり、無垢な状態であれば、困っているひとを助けて不条理を是正することに過度に抵抗する人たちが現れたり姑息な手法で理念を歪めるキャンペーンが張られることもなくなるだろう。

問題は社会的に許容され弱者が恩恵を受ける最低限の格差を誰が決めるのかということであるが、格差で苦しむのは弱者であり、人は共感する生き物である限りは、他者の痛みを放置はできないだろうから、格差原理の基本にあるように許容される格差の範囲は弱者の目線に立って考えることが求められる。

民主主義の経験は、それが社会的経済的強者に歪められる傾向があることであるから、社会が健全であり続けるためには、民主主義の一人一票と多数決の原理に加えて、弱者かつマイノリティの意見を尊重するべきであることが必要となる。

人は共感する生き物である限り他者の痛みを放置はできない、と書いたが、人が共感する生き物であるが故に、共感できない異質なものに対して防衛本能から差別をするという問題も考えなけえばいけないだろうが、これには人が発展途上の生物であり、これからも発展し続けるという前提から、そういった対立を生む古い生体システムを克服する方向に引力が生じるという考えにより、時間をかけて解決が可能であるものと考えるべきだし、同時に喫緊の差別問題には倫理観や法律により対策が可能である。

やがては情緒的な差別と格差という問題を克服すると考えたいが、そのために必須なものは対立を避ける努力を続ける平和な世界だろう。その努力の結果、価値観の違いを乗り越える棲み分けと融合に基づいた多様性を尊重することにより対立が克服され、それが特定の固定的な価値観による不当な権力に縛られない自由をも保障することになる。





2015年1月13日のツイート(2016年5月31日に補足修正)

透明なベール

「無知のベール」の論理を「無垢のベール」で補完したことで、無垢な悪ガキの悪質な悪戯などをどう考えるかという反論を間接的に与えられた。

それに対して開かれた社会を想定した「透明なベール」という考えを使って再補完したい。

自分の立ち位置が分からない無知状態で、全ての人が生まれながらに平等であるという無垢性を帯びつつ、すべての人の行為が全てに筒抜けである状況を仮定する。

この条件での「無知」は、ロールズの無知のベールからは離れて、立ち位置が固定されていない流動的な状況を想定すべきだろう。

その状況で人はどのような選択をするのだろうか?

プライバシー権をどの範囲に設けるかという問題はあるが、普通に考えたなら、抜け駆けや姑息な行為は周りに筒抜けになるのでやらないだろう。

そもそも、生まれながらの本能として社会性をもった無垢である人が、周りから全てが分かる状況で、仲間から後ろ指を指されるようなことをするわけがない。

他者の視線により自由が侵害される可能性を考慮しなければいけないが、その場合の侵害される自由とは人権の衝突であり、公共の福祉に反さない自由が成立する可能性がある。

この場合の透明性は、相互性が確保されていなければならず、権力者が一般市民を一方的に監視したりチェックするのは透明性とは言わない。むしろ、公人ほど、権力を不当に行使しないように、透明な状態であらねば民主主義が機能しないということを考慮すべきではある。

不正や富の独占が起こるのは、社会のなかにある種の密室が存在するからだろうし、そこに不当な権力が生まれる余地ができる。そういう状態では、ゲーム理論における主人のジレンマという、本来の利益の最大化に反する不幸な縮小均衡も起こりうる。

密室なき開かれた社会においては、皆が公平かつ平等で、幸せなコミュニケーションが実現することを望み、それに応じた行動をすることが予測される。

社会に不正がなくならない背景から、そういった理想的な状況がないというアンチテーゼが成り立つ実社会のあり方が問われるということになる。





2014年8月7日のツイート他(2016年5月31日に補足修正)

三諦偈 (東洋思想で理想と現実をつなげる)

資本論でも使われた弁証法における全体主義の傾向を省いて平等な社会の実現にむけて同様の効果を実証するのに、ヘーゲル弁証法の正反合を仏教思想にある空仮中の三諦偈(さんたいげ)で代替できるのではないか。

仏教哲学の空・仮・中の三諦偈の方が全体主義に繋がらないので弁証法よりいいというのは、仏教が物事を固定的に考えず、全ての物事が繋がっていて同時に常に変化していると捉えることによる空の概念から、欲と所有の無意味性を説いていることにより、ヘーゲルが陥る絶対知、絶対精神といった絶対的なものをはじめから否定していることにある。

それを前提として、関係が相互に変わりゆく物事を包括的に捉えつつ、その無常の縁起から空という捉えきれない非有の概念ができ、さらにそれが空であるということから成立する非有非空の中道の理念を現実に適応することを考えるべきだろう。

これは二重否定という捉え方もあるようだが、その否定は全否定ではなく、双方が相互に矛盾を持つことによる部分的二重否定の要素を孕んでおり、否定されていない部分は否定しなくていいということにもなる。

双方の矛盾を双方の長所が補い合い不足を創造で埋めて機能性を修正することを繰り返す行為が現実を理想化していく。それらを固定的に捉えることなく融通無碍に、無常のときの中で必要に応じて新たな創造を生み出し、より広い功績を、苦を可能な限り無にすることに努めつつ求めながら、常に変化に対応し続ける歩みから、三諦偈の中道が、社会哲学における理想として現れる。

それが現実を不条理のない理想に近づける道筋だろう。




(下に「誤解を避けるために」のリベラルの理念に関しての補足1を引用します。)

補足1

ヘーゲル左派(反既得権・反権力)のマルクスと仏教をつなごうとした西田幾多郎は、時代や当時の日本の価値観の反映の結果としてヘーゲル右派(保守権力の正当化としての絶対精神は、儒教文化や仏教右派の価値観に親和性があるだろう)のような、上からの平等の方向性があるとのことだけれど、僕は下からの平等の実現を、マルクス主義における革命のような流血を伴う手法ではなく、漸進的な民主主義の発展で実現すべきと考えている。

マルクスが唯物論であるといわれるのは、ヘーゲルの絶対精神というキリスト教の神に代わる理性に基づく国家主義を支配側の観念論であるとして、真の平等を追求するためには労働者や庶民の立場から、それらを否定する必要があり、その結果として唯物論というかたちをとってマルクスが理論を形成したためらしいけれど、世界は労働と経済だけではなく、あらゆるタイプの人々の生活が前提にあるので、平等を志向する過程で各々の意思が民主的手法を通して透明な検証の結果として高度に洗練され民意が理想的なかたちで反映された(ルソーによる)一般意志としての法体系を追求した結果として、多様でリベラルな社会における平等と公平が成就されることが理想的だろう。

平等や公平という理想の実現には民主的手法を用いるのが前提ではあるけれど、理論的手法においては、絶対精神を主張するヘーゲルによる弁証法ではなくて、仏教の中観派による三諦偈を使う方がいいと考えた。というのは、三諦偈は絶対性の否定と無常無我から生じる空とそれに対峙する仮名から中道を導く論理だから。 西田幾多郎のようにマルクスと禅ではなくて、ロールズの社会公正の理想を現実化するのに利用した。




※ちなみに、僕は無宗教ですが、特定の主義主張にこだわるつもりはなく、しかし極論は避けつつも、公平性と平和、人権は最重要視します。





2014年9月29日のツイート

本来のリベラル

朝日新聞の連載で #リベラル という用語が、弱者に優しい寛容な社会を意味するけれど、#平和主義 を強調したいという趣旨。このツイッターを書き出して5ヶ月足らず。この時期の重要話題は平和主義と立憲主義の危機。当然その話題が増える。僕の数年間は格差是正とその対策により社会の活性化と日本の復興と世界平和の話題ばかりだった。そこを抑制されていることは事実としてある。現状の政治情勢と最近の僕の主張が一部に #天の声 というより #天の意識 として影響している可能性は否定できない。そのコラムを読んでいて、そういったことに想いが至ると同時に、先日知ったネットスカラー(ネスカ)というネットスラングが浮かんできた。「学識を学校や書籍などで得たのではなく、ネットのみで習得し、それを元に曖昧または間違った意見を述べる者を指す(ウィキペディア)」。過去に時事報道番組での #メディア集スト現象 で #赤ペン を出されたときに、自分への批判や誤解に感じられた意識そのものだ。僕の場合は、金銭面の制限と読書の #電磁波犯罪 による妨害が存在するので、書籍で重要事項と基本だけを抑えて、残りはネットを利用していたが、その場合も極力、識者ではない個人のブログは避けて、新聞や経済誌などのプロが集うサイトやネット検索で見つけた論文及び政府やシンクタンクの発表するデータから情報を得ていた。よって、僕の主張が大きく外れていたり、度素人の意見であったりすることはなかったはず。過去にも、シンクタンク所属のひとの論文で、格差是正策に資金に余裕のある大企業側の社会保険料から赤字で苦しむ弱い立場の社会保険の事業体へそのものを批判しているともとれる。研究者として理念を重視する姿勢は一般には評価できるのかもしれない。ただし、この国では理念にこだわるあまり現実的な対応がなされないという状況が三十年続いており、その恩恵を自民党が一手に享受しているため、国民生活は不幸続きである。もっと端的にいえば新自由主義政策の推進のため、理念をいう側が現実的な対応をしないように圧力とメディア操作によるある種の報道統制的な状況がある可能性が高い。社会保険料での現実的な対策と、原則という型のどちらを重視すべきかは分かれるだろう。学問上は原則を否定はしにくいかもしれないが、結果として生活者が苦しんでいる以上は、現実的に格差という問題を解決することを否定すべきではない。公平という理念がまずあり、それに基づいた制度がつくられているが、制度が機能していない限りそれを是正するのは当然の行為であろう。理念から全てを改革できればいいが、いま進んでいる改革は格差是正ではなく、強者の支配戦略に他ならない。この状況ではたとえ弥縫策であっても原則とは異なっても、本来の最も重要な基本理念に基づいているのであれば実施すべきである。もしそれでも原則にこだわるのなら、はっきりと累進課税による格差是正策を主張すべきだ。 (ここで複数から #電磁波犯罪 を用いた #集団ストーカー現象 による強い圧力があり、それに対する怒りにより以下の文をつけたす。) 知ってもらいたいのは、日本の民主党なり、フランスのオランド大統領なり、タイのタクシンやインラック元首相なり、オバマ大統領ですら弱者を助けて公平な社会をつくろうとすると、逆に大災害や戦争、クーデターに巻込まれて弱体化させられていくという現状があることと、覇権国の大統領ですらその枠組みから逃れられないことである。この不幸な世界にある唯一の希望が、中国の台頭による覇権交代にあることは、世界中の識者には認識されている。メディア操作により、何も知らないのは一般人の方であることを理解し、不幸の払拭に努めるべきだ。以上。





2014年10月9日のツイート

なぜ弱者を救うべきなのか?

基本的な認識として弱者救済は身近な弱いもの、例えば子どもなどへの愛情と同じ感情の延長から始まり、それが困っている人への共感に繋がることで、もし自分が同じような境遇や状況になったならば辛いだろうと言う思いが先にあって、困っている人を救うことが自分が困っているときに救われることへの保障になることを相互に理解し、暗黙に合意してきた人類の高度な社会性の獲得の結果が、相互依存的な社会形態を形成する根拠となっている。
先日、青色発光ダイオードで日本人3氏がノーベル物理学賞を受賞したが、そういったすばらしい発見や発明は、誤解を恐れずに書けばちょっと変わった人たちから生まれることがある。特に日本社会においては空気という言葉に代表されるような同調圧力の強い社会だけに、自己主張の強い個性的な人は変わり者として扱われ易いが、その中から成功するものは一握りにも満たない数であり多くの人は成功しているわけではないだろうし、場合によっては迫害を受けて弱者になりやすい人たちでもあるが、そういった一定の層が一定の比率存在しなければ、一般人が成し遂げられない偉業を達成する人も激減する可能性がある。そういった人たちを保護するということは、遺伝子の多様性を維持し、幅広い個性の多面性を保って社会が停滞したときや行き詰まっている場合に、それを打開するための可能性を残し、逆に大きな変動に伴い社会環境がガラリと変わってしまった場合にも、その状況に適応できるタイプの遺伝子を残すということの意義からも、現状において弱い立場に置かれた人たちを救うこと、弱者救済の必要性が極めて高いといえる。「助けるー助けられる」ということは、その瞬間だけを考えると両者の関係は非対称的であるため、一見すると片側にのみ依存した不健全な関係に見える。しかし、その瞬間だけに捉えられることなく時間軸と空間座標を広く考えて、世代間の相互依存の繰り返しの観点、分かり易く表現すれば親世代から子世代への援助は子世代が次の親世代になることで永遠に繰り返される時代を超えた相互扶助という視点と、同時代的に存在する社会のデコボコした不均衡を公平に全体がある程度均衡化されて、皆が暮らしやすいように穏やかに均されていく方が社会のあり方として望ましいという視点を、ちょっと思慮深く捉えることができたのなら、その瞬間にある非対称性が実はそうではなくて、相対的に対称であることに気付くことになる。この視点は、弱者救済を狭く個人間もしくは家庭の中のこととしてのみ捉えるのではなく、社会全体で長期に渡って機能するしくみを構築することにも繋がる。いまの株主経済の単眼視では到底理解されないが経済的観点から考えても、経済は先にあるものではなく後からついてくるものであり、介護や福祉であっても同様のことがいえるということも理解されるべきだとは思う。
そういった概念や論理などなくとも、一般には弱者や高齢者をケアする理由として以下のようなことがいえるだろう。

・かわいそう、気の毒と思うから
・困っている人を助けないと自分が困ったときに助けてもらえない
・人助けをした結果、自分が成長して逆に助けた人に感謝し自分が助けられたことを知る





2014年11月26日のツイート

続 なぜ弱者を救うべきなのか?

弱者を救うための #倫理 的、道徳的、人権的理由は当然なものとして、それ以外の理由もたくさんある。 経済にとって消費が活性化するという理由。遺伝子は多様である方が長期的には種にとって好ましい結果となるという理由。そもそも弱者が本質的に弱者なのかという問題は、誤解ないように書きたいが、弱者とされる者が実は権力に脅威となる高い能力を備えているがために弾圧された結果だった場合、なぜ権力側が弱者対策を拒むのかが推測できる。 他の弱者救済が必要な理由に、人に将来の不確実性とその可能性を考える力があり、同時に相手の立場に立ってみるという高度な想像力と共感力を備えているが故というもの。助け合うことによるコミュニケーションの結果が心地よいからという理由などが挙げられる。


ここまでの文章を書くのに、かなり強い #電磁波脳抑制 により苦労する。ニュースを見ているときに祖母が向こうで動いていて戸を開ける音がしたときに、テレビで明らかな表情と動きの変化。おそらく何らかの勘違いがある。誤解だらけだが、僕に対するものも誤解が多いのだろう。#メディア集スト現象まともなことを書いた後に被害。http://sky.geocities.jp/love_and_peace888/term.html…訴えざるを得ない。#音声送信( #フレイ効果)により《こんないい奴をやらないといけないのだから…》だから悪に見せようとでも思っているのか? そもそも「奴」は誰を指すのか?
本当の加害者は姑息、卑怯、許せない自民党的悪の傀儡保守主義。女性を弱者にしておいて男性の世話をせざるを得ない心理状況をつくり男性はコミュニケーション能力をつけないまま #共依存。女性が世話をするかわりに寄生せざるを得なくさせられる。「女性が輝く社会」は自民党が票を得るためのエサ。これは30年繰り返されている手法。
直前のツイートはひるおびで高齢者婚について男女の思惑をやっていたときに考えたことを書いたもの。もう一つ前のツイートからの文脈で、特許技術の #電磁波脳操作 の罠の可能性に気付いた。自民党支持傾向の加害組織とは別に、そこに脳操作され嫌がらせをしている加害個人が存在する可能性は高い。
前の三つのツイートから、#集団ストーカー が創価学会によると思い込んでいる人たちがそれを確信しそうだが、僕が #電磁波脳操作 されて書いたのだとすると手の込んだ作戦だろう。そもそも直接の加害主体が分かるはずがないので思い込んだ時点で罠に嵌っていることになるはず。政治の裏を知ろう。
政治の裏を知ろうと書いたが国際政治が正しい。新興宗教はほぼ右翼系(米国の裏戦略)だが、仏教系の創価学会は中道左派。加害者は #ネオコン(新保守)的なシオニスト勢力でありキリスト・ユダヤ教以外の宗教を敵視し、民主主義と自由貿易の名の下に侵略をする新自由主義者と考えると矛盾が少ない。
過去の5ツイート。#ネオコン と #軍産複合体 の癒着を疑うが、その理由は、イスラエルを否定するシーア派のイランをイスラム国を使って牽制する動きやその他の政治文脈だけでなくhttp://sky.geocities.jp/love_and_peace888/about_the_Word_of_God.html#%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%A3%8F…も関係がある。もし共和党が大統領を出すようなことがあれば悲劇だ。

補足: #イルミナティ という #陰謀論 は反共保守権力が、内政においては大企業の負担増と再分配を主張する左派を貶めるため、外交では共産主義国家中国の台頭に対し右翼を利用するために利用している戦略。左派の平等や平和という主張に対する無知の者、もしくは権力に迎合する者が利用される。
さっきのHPの記述は、陰謀論で左派を悪と思わせるための保守権力の利用、…しかも、一般人が気付くことなく利用されるという真実を、僕の身の回りの不思議な事実により知ってもらうことが目的。一般の #陰謀論 に一縷の真実が含まれていても嘘も多いので罠に注意。僕の身の回りのことは全て真実。





2014年11月26日のツイート

なぜ倫理的であるべきなのか

単刀直入にいえば、人が社会的生き物であるが故に備わった要素であり、倫理的である方が皆の恩恵を最大化し、同時に弱者が救済され不幸を最小化できるから。信頼が社会全体に広がれば、疑心暗鬼と駆け引きに囚われることなく最良の結果を吟味できるようになる。その #倫理 は以下の無垢のベールを前提とする。#僕のリベラル思想の基本原理

共通善の問題は、その価値がコミュニティーに限定されるため、コミュニティー間で対立が生じる可能性があること。


2014年10月30日のツイート

正義≒共通善は目的志向的であれば、人類が進化の過程で獲得した理性によるものか、人類の経験から生じた普遍性によるものか、その差異を問うことの意義は必要なくなる。


モーターが磁石にコイルという構造で回るのか、電気を流すから回るのかの差異を問うことに意味はなく、両方により回る。#再分配 #再分配 の必要性はリベラル派で正義論のロールズはもちろん、ロールズに敵愾心を燃やし共通善を主張する共和主義のサンデルも認めている。両者の違いはそれを説明する論理の根源を正義と善のどちらに求めるか。個人差が大きい善より正義が正しいが、共通善を使えばその批判を免れる。正義≒共通善?





2014年08月28日のツイート

オキシトシンとセロトニン

愛情ホルモン・オキシトシンのダークサイド」オキシトシンには仲間との愛情を深めると同時にそれ以外への差別感情を生み出す副作用があるらしい。震災後「絆」という言葉がもてはやされたが、多くのケースで被災者との間で用いられることは少なく、被災者を反面教師にして、いざとなったときに自分が孤立しないための仲間との絆として使われていた。これらのことから絆とオキシトシンに共通点を感じる。

過去に #天の声 として利用されたときに #リベラル を主張したが、コミュニタリアンを否定するつもりはないし、むしろ過度に保守的(権威主義的)であったり、リバタニアン(自由至上主義)であるよりはそちらの方が望ましいと感じるが、それよりもリベラル(社会自由主義)を強く主張した。その理由として、現実的な社民主義への道というのもあったけれど、共同体を意識してそこに忠誠を誓う行為が内戦や戦争に繋がる道であることを強く意識してのことだった。要するに平和主義と人権を守るためのリベラリズムである。

その観点から、人類にとってより重視すべき生体物質が共同体的なオキシトシンより、平和的安定的かつ普遍性に繋がると考えられるセロトニンではないかと感じる。この二つの物質を対立するものと捉えるのではなく、愛情にとって共に重要だけれど、社会の平和と発展まで考慮に入れた場合は、セロトニンのほうがより重要になるのではないかと感じる。

自分個人のことを言えば、#電磁波犯罪 によって孤立化させられ、弾圧を受け続けて、おそらくオキシトシンが少ない状況にあっても、平静さを保てるのは、セロトニンが一定程度の濃度を維持しているからではないかと感じる。それでも、#裏世界支配層 が仕掛けていると考えられる #テクノロジー犯罪 により、左右どちらかに価値観を持っていかれる理由は、将来の #戦争計画 の存在を考慮に入れるとはっきりとする。コミュニタリアンのマイケル・サンデルがもてはやされたり、文明の衝突が評価された過去の経緯と、現在における世界各地の異変はそういう形で繋がっているはずず。平和のために異なる意見に寛容(リベラル)であるべきだ。

僕の置かれた状況と、世界の情勢の関連性が多少は分かってもらえるかもしれません。過去の言っていたことの関係と、誤解の払拭も兼ねてです。 要するに、社民主義も #リベラル(社会自由主義)も #コミュニタリアン(共同体主義)も再分配を認める点においては、程度差や困難にある人を助けるアプローチに違いはあっても基本的には同じはず。コミュニタリアンだと共同体間の対立が生まれる懸念があり、現代の保守化と対立の時代は避けたい。


2014年1月6日のツイート

愛情ホルモン・オキシトシンのダークサイド

オキシトシンにより身内との絆が強まることは幸福なことであるにもかかわらず、同時に排他的にもなるという。これは日常においても経験できることだけれど、いまの社会の問題の本質を表しているのでは。

セロトニンとオキシトシンで毎日が変わる

幸せホルモン・オキシトシンは嫌な記憶を強める2面性がある

共感と罪悪感は人が社会的生き物である証であり、幸せに共同生活をするために備わった必須機能だ。社会が完全に可視化されているという仮定をすると、社会を構成するすべての人の不幸が無くなった後でなければ、人は共感力を備えているので個人の幸福追求には罪悪感が伴うはずだ。今に必要な観点では。




2014年9月18日のツイート

負の遺産としての場の空気と人口問題及び格差社会

昨日のツイートで、#空気 というコミュニケーションにおける日本社会の根深い課題は人口問題と格差社会として表面化していると書いた。
説明不足を補う。
#空気 を読むことで同調圧力が生じ、それは異論を排することに繋がる。この社会の中では弱者が自らの意見を通すことが難しくなる。結局 #空気 というものは、権力を持つ側に有利に働くため、保守的な日本社会では、場を支配する側とそれに無意識に従う多数の相対的弱者により、この国の文化的土壌として維持され続けてきたのだろう。この問題に多くの人が気付かなければいけない。日本という一見平和的だが幸福度の非常に低い社会の中で、端的な表現を用いれば国民がマインドコントロールされているということになる。国民をこの洗脳から解き放つためには、問題の本質を分かり易く周知する必要がある。皆が文化的問題に気付き、問題解決のために声を上げれば、社会問題は解消の方向に向かうだろう。ただし、#空気 の社会の唯一の利点として、皆が必要もない我慢を強いられることの代償として、意見集約時に起こる対立を回避できるというものがある。低い価値レベルの社会においては、上が決めたことが如何に問題があろうとも、皆が我慢して従えばとりあえずのところで対立は生じない。しかしそのような保守的な世の中でいいのだろうか。上の決定が正しいか否かをどう判断すべきかは民主主義にとって重要な論点だろう。もちろん判断を下すのは民主主義においては相対的弱者である一般市民であるが、#空気 の社会においては公的な手続きを経なければ強者ということになってしまう。複雑で多面的な問題を認識して道筋を示すには、それを説明できる代表的人物も必要になるのは理解できるが、その代表が不正や誤魔化しがないことを誰が証明するのか。民主主義が正常に機能していれば、複合的な監視のシステムや、多数が参加する議論のプロセスを経ることにより、この問題は解決される。しかし、現状の民主主義は偽物である。そうであるが故に、メディアの報道は権力に裏で操られ、国民は本当に正しいものが何かを知ることがないまま、結果として報道の嘘を信じてマインドコントロールされてしまう。#空気 の社会においては、この偽民主主義の仕組みが無批判のままに機能して、われわれ一般人を路頭に迷わせ、結果として不幸な世の中の形成に、強者と弱者という関係が相互補完的に寄与してしまうこととなる。その中で権力に迎合する一部の強者のフリをした弱者により、まともな言論は抑圧され、マインドコントロール下の封建的といってもいいかもしれない保守政治がまかり通ってしまう。このような状況を克服するチャンスが、民主党政権時代にあったにもかかわらず、時間のかかる民主的プロセスを否定するメディアとその #空気 に乗ってしまった世論と、原発事故も含めた複合的な作為的罠も関係して民主党政権は失敗した。
もし #空気 という保守的マインドコントロールが解決されたなら、社会的弱者の最大数である女性の意見が社会の制度設計に反映され、日本が再び未来のある幸福な社会に発展する可能性が生まれていくだろう。ただし、#空気 の文化に慣れてしまった国民が #空気 を読まないで好きなことを主張することにより、皆が勝手な行動に走り、社会が混乱すると言った弊害も克服しなくてはならない。そのための教育訓練として、認知の歪みを無くすための認知療法であるとか、個人的なエゴを排して他者の立場に立ってものを考える利他的で、だからといって決して自己犠牲には陥らずに皆が幸せになる方向で理念的に思考ができるような教育手法を研究する必要もあるだろう。
フィンランド教育における学びあいなどが参考になるかもしれない。愛知県犬山市の試行では、学びあいによっても学力の低下がみられなかったという結果が得られている。共感力や協力して努力する価値観を得られる教育で学力が低下しないのであれば、全国で展開すべき教育方針であったはずだ。理想的な民主主義を追求するには時間がかかるが、実行しなければ理想的な結果を得ることはできない。そういった左派的、民主的世界観が日本と世界を救うという認識は正しいものだが、一見すると女性閣僚が複数入閣した現政権は実はそれとは正反対である。保守的な安倍政権の女性閣僚のほとんどは右翼であり、高市女史は以前ナチス礼賛本に推薦文を載せており、右翼の人物と共に写真を撮っていることが世界中で報じられている。それ以外は自民党においてリベラル要素を持った中道的穏健派であるため、例えば将来の芽を潰そうと安倍総理が原発推進の踏み絵を踏ませている。政治に詳しくない人はそういったことを知らないまま安倍政権を評価し、分かる人は怒りを感じているはずだが、それ故に #電磁波犯罪 で弾圧されたり、気付かぬまま操作されたりしているようだ。本来の民主主義から最も遠い所に安倍政権はある。
世界を救うのは、そういった国民への背徳の政治でも偽者でもない本来の民主主義だろう。それは理念と現実の間の哲学的中道を追求した時間のかかるプロセスを経て実現するべきものであり、同時に偽の民主主義を排する作業でもある。民主党政権が失敗させられたことにより、いまの日本は弱者に厳しい残酷な社会となりつつあるし、現実にはアベノミクスにより既にその方向が確定的になりつつある。もちろん、逆風の中でも保育園・こども園に関しては、保育への株式会社参入などの逆行療法を使わずとも、創意と工夫により空き店舗の利用などで子どもを預けることを諦めなくても待機児童を減らすことが奏功しているケースもあるようなので、問題のある安倍政権の政策の中では数少ない、推進しようとする姿勢が評価できる少子化対策と男女同権に関しては、政権の細部の方針がどうであれ、関係者は妨害されずにいい結果を期待できるチャンスを得ているのだから、この機会に邁進すべきだろう。妨害されずにと書いたのは、#空気 の社会においては、どれほど正しくとも権力の方針に反することをするのは容易ではないからだ。空気の文化を克服して裏も歪みもない民主的社会を形成する努力を続けるべきではないだろうか。もし、#空気 の社会を克服すれば、たとえ権力の方針に反したことでも、皆が正しいと考える方針であれば、皆の意見が民主主義を動かして、その実現に一歩前進することが可能になる。ここで大切なことは、皆が正しいと考える方針が本当に正しいかを民主的プロセスを経て時間がかかっても丁寧に描出する必要があることだろう。そういった手法で丁寧に民主主義を実行すれば、格差問題の本質にある、裏支配層が上位層の一部を統制することで、下位のその他多数も支配下に置くような仕組みを覆すことが可能になるはずだ。人口を維持するということは、不当かつ不可視の弾圧が少なくなることをも意味し、裏権力による弾圧で人口が減っている場合においては、権力者がつくる #空気 への迎合が弾圧を強化する傾向があることを踏まえる程に、#空気 の文化の否定がどれほど重要なことであるのかを認識する手助けとなる。
(やや攻撃的表現が散見されるのは、文章を書く途中で、#電磁波犯罪 の圧力を受けた結果である。)

2014年9月18日のツイート

スコットランドの独立を問う投票が始まる。北欧のような理想的な社会制度が念頭にある。英国は日本に比べ国民負担率が高いので政治を健全化したら #福祉国家 が可能。
金は天下の回り物。結局は実物にしなければ何の価値もなく金融の世界で滞留し、時の権力者(政治家とは限らない)を利するだけ。
posted at 12:10:40

スコットランドの独立投票。経済は北海油田のことばかりだが、あそこは風が強くて風力発電の埋蔵量が欧州一のはず。完全にエネルギー輸出国としてやっていける。英国の力が落ちたとき米国の戦争への英国の抑制力がなくなるよりも米英の力の弱体化が戦争継続できなくなる方向に期待したい。
#平和主義
posted at 23:57:20





2014年8月23日のツイート

未来社会における理想的統治とは

裏権力がいまだ進めようとする明らかな失敗政策の #新自由主義 は生産過程での人的労働を最小限にできる現代の技術では、極一部に富が集中するため既存の労働観のままでは市民は貧しくなっていく。同時に購買力が失われることにより市場は小さくなり、この政策を進める側が弱体化する結末となる。始皇帝に不老長寿の薬と嘯いて水銀を飲ませ悪魔のような権力者を葬ることに等しい政策で、長期的には悪魔に制裁を与えることになるのでそれ自体はいいが、経済政策としては悪魔が倒れるまでに一般市民が苦しむことになるため回避するほうが懸命だ。皆が幸せになり得るより優れた方法を模索すべきだろう。そのひとつとして、#社民主義 や #社会自由主義 が挙げられる。#新自由主義 ではなく、必要な規制は的確に用いながら市場経済の利点を活かすことと並行して、その欠点である、たまたま運に望まれなかったものにとっての公平性の欠如を補うための的確な再分配とセーフティネットにより、全ての人の機会と幸福をより高いレベルで追求し、全員の幸福を満たし、その総和を最大化するための資源の再利用と技術革新による新たな未来の構築を目指すべきだ。そのためにはやがて訪れる未来の社会が、欧米陰謀論のような卑劣な権力維持のための不幸なものではなく、全ての人類と生きとし生けるものにとって慈愛に満ちた歓喜を伴うようなものであるべきだ。その未来社会に向けた新たな発想の転換が必要になる。第一に、限られた仕事を誰が担うか、いかにシェアするかを考える必要があるように思えるが、コンピューターやロボットでも可能な仕事を、保守的な価値観に基づいてわざわざ仕事の数を満たすためだけの目的で残す非効率さを考慮に入れれば、非人道主義的労働価値観の転換が必要であるということだ。第二に、労働をしなくても豊かな生活ができる社会が将来に訪れることが予測されることから、空いた時間をいかに有効活用するか、人々が幸せに助け合い暮らしていく、中道左派的平和で平等な理想社会の到来に備えた新たな価値基準が必要になる。機械による労働が主たる社会での再分配はコンピューターやロボットの労働に課税することがひとつの提案としてありうるのではないかと思う。その時代は一部の専門的エリートと工場の管理を担う人材以外は特別な労働を必要としない代わりに、時間が十分あるため、多くの人が共同生活をしていく以上は、社会をどう共有し、抜け駆けや人権侵害を防ぐかが大きな課題となるはずだ。そこへのアプローチとして基本となるべきスタンスは、絶対的に性善説を前提とした理想論だが、それだけでは新たな問題を解決することは現実的には困難であるため、性悪説までとる必要はないが、そういった要素、運の悪さによってはいわゆる魔がさすようなことが偶然的に特定の人にあり得ることをも考慮に入れて、理想を目的に現実を十分に配慮した対応することを念頭に置くことを十分に考えねばばならないだろう。そういったことを前提にしても、統治の手法は民主主義以外にはありえない。一部の勘違いした運がよかったものが大半の賢人会議のような仕組みは、結論を出すことは比較的容易であっても多くは間違いが起きるものになり得て、その間違いを正当化するための人権侵害が起こり得ることは、昨今の #電磁波犯罪 の被害が如実に物語っている。統治における民主主義の理想は多数決でも全会一致でもないだろう。多数決では少数者の意見が反映されないことから生まれる問題がある。全会一致は、それが問題なく可能なケースではいいのかもしれないが、現実的には誰かが不当に抑制されることが想定でき、多数決と同様の問題を孕むが、抑制された者が多数決以上に可視化されにくいため、場合によってはより大きな問題となる懸念すらある。それを解決するためには、価値観の違いによる棲み分けと、棲み分けたグループ相互の親密な交流、公平な機会と資源の分配を基本的な仕組みとした上で、グループごとの価値観に合わせて物事の決定の仕組みを柔軟に用いることがうまくいく秘訣ではないか。ただし、グループ間の個人の移動は自由にし、それに対して何らかの拘束や制限を設けることを完全に禁止すべきだろう。また、グループ間での利害や価値観の調整には、対立を避けるために、グループごとに選ばれたリーダーを集めた会議が必要だろう。その会議の内容はリアルタイムで公開され、議事録や録画映像も自由に見られるようにすべきだ。その上で、議事で出された課題をグループに持ち帰り説明して要求を募り、再び会議を皆が注目している中で行うということを繰り返して、時間をかけて丁寧に決定を行うことが求められるだろう。価値観の違いを埋めて決定をするということはそういうことなのだと思う。その過程では、人によっては自分に思い通り行かない決定も多々あるだろうから、不満を訴える者が現れることが想定できる。社会を営むということは、そこを構成する者の全てが全て自分の思い通りにいくわけがないということと同義であり、その中でいちいち目くじらを立てることなく、友好的に物事を運営することが望まれる。理想と現実を埋めるためには個人レベルでの理解力と人間性を高める必要があるだろう。手段としては、心理学における認知行動療法を用いてこころの歪みを取り去ること、より高度な観点からは仏教哲学における空論から導かれる諦観及び中道の理想を理解することが望ましいのではないだろうか。そういった高度で時間のかかる人材育成を前提とした民主主義を志向しない場合は、もっと簡単な管理方法であるポピュリズム的専制が待っているはずだ。ニーチェにおける超人や儒教における賢者という、現実離れしたリーダーに任せる手法は、二千年前ですら韓非子のパラドックスとして認識されている。専制政治はそれがどれほど理想に基づいたものであっても価値観の違いから不満分子を生み、民主主義を志向する有能な人物への人権侵害と弾圧が始まることにもなり得る。結果として一般市民への弾圧が生じる可能性が多分に存在する。簡易なシュミレーションでも失敗することが分かっているような統治を選ぶことなく、時間がかかって面倒であっても、偽物ではない理想的な民主主義を志向すべきだろう。
この文章は、将来社会のあるべき姿を、現在の世界の危機と日本での民主党の失敗の経験から着想を得て、基本的な自分の概念を書いておこうと考えた結果。

僕は #電磁波被害 を受けていますが、誰かが代理で僕を監視しているようで、妨害を受けつつ書いたものです。
大局的イメージは正しいはずです。

前のツイートに民主党の失敗をふまえてと書いたけれど、当時から僕は、急ぐところは迅速にしても拙速はよくない、重要な決定は丁寧にすべきという意見。当時、メディアが急ぐことを要求したのは、市民目線の民主的手続きを重視した民主党を潰す罠に嵌った結果。自民党政権で住民本位の復興が不可能に。

報道系のテレビ以外はあまり見ないのでそれ以外は分からない。過去一年くらいが特に酷かったと思うが、観察力がある人なら出演者の不自然な動きに気付いたはず。同時に一部にデマが流されており、僕が嫌がらせをしていると #誤解 している人もいるはず。すべて僕の意図したものはない。第3者の罠。

#電磁波犯罪 の行為だろう、気象予報士を使って嫌がらせをするので、8月に入り平日午後7時台のNHKを見なくなった結果、毎年8月上旬の原爆の日や終戦記念日に平和を願う内容を放映するクローズアップ現代が放送されなくなった。 翌9月は僕にとっては何か変化のある月。もし日米ガイドラインや憲法9条の違憲解釈の法制化がある9月以降に、実際に僕が潰されるかは分からないが、もしそうなった場合、番組が再開されたり何らかの逆転があれば、リアルな実態を知らないが、この事態を知っている人からすれば、僕が悪かったことになる可能性がある。
常に #電磁波犯罪 をしている権力は卑怯。

アホなジョークを一発
神になりたければ、稲光で空が光ったときに「我は」と言ってみよう。
その後に「ゴロゴロ語呂(合わせ)」=雷鳴。
合わせて「我はカミナリ」=「我は神なり」

僕はこれを言って #気象兵器 を使った嫌がらせを止めた。
とりあえず、彼らは僕を神にはしたくないらしい。





2014年9月10日のツイート

理想社会

権力は昔から自分の地位が誰かに奪われるのではないかという妄想にとらわれるらしい。本来であれば、皆と協力して誰もが好む政治をすべきだが、権力の座にあると各種勢力の利害の対立を如何に解消するかに苦労することになる。利害関係者が増えるほどのその調整が難しくなるため、その絞込みの結果として支配・被支配の関係が生まれるのだろう。そのような権力構造を克服することが、一般市民にとっても、ときの権力にとっても、安全を確保しつつ公平性を維持し尊厳を保つことを可能にすることに繋がる。人類社会における利害関係の調整問題という長期的課題を解決するための根源的な方法は、社会の構成員が利己性を克服しつつ、権力に迎合しないバランスのとれた高度な人間性を育むことだが、簡単に実現できるものではない。教育による人間形成により世代交代を通してその間、高度な目的を実現するための社会的合意を維持する必要が生じる。ただし、仏教哲学的に煩悩を戒めることを重視したり、認知行動療法により物事の捉え方の歪みを修正するということを、理想的人間形成のため教育課程を通して実施することは不可能ではない。多様性を尊重しつつも、エゴも認知の歪みも無い社会であれば、情報及び相互の関係性を透明化することにより、健全な認知に支えられた社会構成員全員で“問題行為に限定して”チェック&修正ができるようになる。もちろんグレーゾーンの範囲をどう捉えるかという問題が生じるため、その解決のために、皆の意見を尊重して決める公平なシステムを導入することも検討課題になるだろう。問題行為に対する対応は、その背景にある生育環境を含めた社会的な事情を十分に配慮し、皆が関与して社会環境が形成されたことを皆でよく鑑みて行われるべきだ。罪を憎んで人を憎まずや、悪人正機といった価値観を尊重して、認知療法や煩悩を無くすための心理学を研究して、皆の協力の下で寛容な解決を図りたい。このような社会が実現したとき、一般市民にとっての最大の恩恵は、権力側の弾圧行為を皆で監視し互いに協力して防衛することが可能となることにある。権力側のスパイもすぐに見分けられるだろう。国王は統治すれども君臨せずという言葉があるが、こういった社会における統治は、統治ですらない民政となり得る。もちろん社会を機能させるための基幹的なシステムは必要だが、それが一部の人間による恣意的なものであってはこれまでの人類社会の問題を克服することにはならない。民主主義の理想は上からの統治ではなく、市民による市民のための政治であるべきで、そういった社会の運営システムを如何に構築するかということにあり方が終始される。その実現にとって最重要ポイントは、政治と権力を完全に透明化すること。そして、その権限を皆の合意に基づく包括的で現場の裁量権を侵害しない範囲にとどめることだろう。そういった手法で人権を侵害することなく、一定の社会秩序を保ち多様性ある社会を実現したい。そのための教育の一案を述べたつもりだ。この考え方は理想主義を現実的観点から目指すというもの。前近代に比べて社会が豊かになり、全ての人が一定レベルを超える教育を受けることが可能な時代となってからせいぜい百年しかたっていない。世界的にはそれは最近やっと実現しつつあるという状況。よってかつては実現不可能な理想だったものが、既に実現可能な目標になってもいいのではないかと信じる。すぐに達成できる目標ではないかもしれないが、教育の質向上の進展具合と同時並列で順次透明化を進める漸進的な手法であれば、やがて理想社会は実現するのではないだろうか。
#理想社会


補足
実のある民主主義を目指そうという発想は、小さな政府の側でも伝統秩序重視の保守の立場でもない。伝統価値観を否定するつもりはないが、国民主権を阻害するのであれば修正すべき。米英支配権力の思惑が背景にある動きに関しては否定しつつ、国際融和的でありながら独自に社会を発展させる指針。

補足2
自分の考えは、認知の歪みが小さい健全で寛容な社会で民主主義を徹底して実施すれば合意形成に時間はかかっても公的な教育や福祉サービスが充実するという前提に立っている。民政を善政と書いて修正=コミュニタリアンに同期中? その手法は肯定するが理念はリベラルでなければ対立が生じる。

#電磁波脳操作 は僕の場合、一時記憶を消して文を下手に見せようとする。先の文章の中では、「〜して、〜して、」という下手な言い回しがそれにあたる。読み返してから気付き「しまった、どちらかは、し(だけ)やな」と独りごちて、それに再び「しまった」となり「誰もしなない」と訂正する。本当。

#教育へのICTの利用
先日のNHKクロ現を見て。紙を電子化するだけならそれに意味は無い。どう活かすかが重要。例えば標準問題は皆で先生から説明を受け、個別にタブレットでより分かり易い説明に移る人、応用問題を解く人、難解問題に挑戦する人、学びあいをする人など、同じ教室で同時に学ぶ。

#仄めかし
9/9朝見た夢
山を確認した。
どこかの親父達が濁酒。僕は酒が飲めないと言った(この解釈は僕はゲイでないこと)。
「2日後(9/11)にどうする」で目覚めた。

以下は現実の話

下呂市の広報無線で「9/11に古子橋が通行止め」
9日のNHKクロ現で三重県古江地区の防災
posted at 02:47:07

#誤解を避けるために
穏健な平和主義、反貧困である市民派の中道左派系の識者やジャーナリストに、陰謀論に関する情報を伝えることを徹底的に妨害される。
裏権力は市民を騙して利用しているということ。両翼の間の健全な勢力を警戒してデマを流したり( #コインテイルプロ)抑圧している可能性。

#メディア集スト現象 反対
僕は(中道左派なので)赤系なのかもしれないが否定の意味を持つ赤を好まない。政治色としては左派一般というよりも、極左、共和党系傀儡保守、ナチス的右翼の赤色にどうしても見える。#電磁波脳操作 の結果だろうとは思う。赤を使っている側にそのつもりは無いはず。#電磁波犯罪 反対!

#サンデル が日本に来て共和主義でもある #コミュニタリアニズム を広めていたが、なぜ米民主党政権下で逆の立場の理論が広まるのか?
彼はリベラル(福祉国家的な民主主義)とリバタニアニズム(自由至上主義)を同列にする過ちを冒している。
https://twitter.com/akejy/status/46187713033281537

#電磁波犯罪 #集スト現象 反対
アメリカの裏権力が民主党系のリベラル左派思想を弾圧しようとしているのか? それとも米大統領選を追っていれば当たり前の、リベラルという表現が、アメリカの政治哲学においては左派であり進歩主義の側であることを知らずに、誰かが怒っているのか? 本当は前者

米国のしていることに普遍的正しさがあれば、国力の低下に関係なく求心力はあり続けるだろう。表で正しいことをしていると宣伝して、裏で #電磁波犯罪 弾圧や搾取を続けるなら、そんな権力は不必要だと考えるのが普通。非欧米地域は日本が関与した所以外は困窮化している。目を覚ませ。
#平和主義





2014年10月3日のツイート

格差是正のための教育無償化

経済と格差に関して、経済合理性や効率性と公平性や #格差是正、弱者救済が矛盾するというものがその代表。経済至上主義は避けたいが、弱者を救済したらそこから需要が生じる。消費性向の高い低所得層に再分配すれば景気は回復するので上位層の所得も増え好循環が生まれる。
欧州各国はほぼ #教育無償 かつ給付型奨学金がある。
日本の高等教育(大学等)の公費負担率がGDP比0.5%。GDPが5百兆円なら2.5兆円。高等教育の家計負担割合が57%。これを公費にすると2.5×(57/43)≒3・3兆円。消費税1%が2.5兆円。消費税1.3%で無償化可能。
続 #教育無償)何でもかんでも同じにして社会の活力を失わせるような悪平等を推奨しているのではない。しかし、皆が納得するだけの公平性が確保されていないことによる社会の中の不条理は、その現状を知らない人には周知し理解してもらい、最低でも機会均等だけは絶対に守らなければならないのに日本ではそれがない。例えば僻地で所得2百万円未満の母子家庭に子の学費と生活費の合計2百万円を出すことは困難。そもそも、機会均等だけでなく、労働における公平性の原則から鑑みても、同じ仕事を同じ効率でしたときに性別や年齢で報酬に差がつくことが公平なのか? そういった疑問を克服するため、欧州では同一価値労働同一賃金を目指した給与システムを取り入れているが、日本は勤務先と契約により、例えば同じ会計でも時給換算で7百円〜数千円の差がある。5%成長をしなければ維持できない年功序列賃金は一定の秩序形成に貢献していたが、お金が必要な子育て年齢のときには給料が安く社会サービスは高いため生活苦になり、子どもが独立してお金がそれほど必要でなくなってから給料が上がる非効率な仕組みである。無批判だったわけではないが、社会構造への無理解と抵抗により改革ができないできた。この戦後数十年の高度成長の間に形成された一時的な仕組みに普遍性はないにもかかわらず、これを続けるなら社会を維持していくために十分な再分配が必要だろう。他と同じような労働により生活に必要な分以上の報酬を得ている層への課税がなければ、いつか財政破綻で貯蓄も消えてしまうだろう。何もいま進んでいる働き方の改悪を勧めているわけではないし、企業が労働者を搾取する方向の向かっている新右翼政策には反対している。不条理な労働を改革するのであれば、大企業による下請けいじめを禁止し、企業の所得分配率を上げ、同一価値労働同一賃金を取り入れ、ワークシェアリングと短時間労働により市民生活の向上と少子化の克服を目指すべきだ。キャリア形成だけでない生涯学習のための環境整備もあった方がいいだろう。そういった改革がすぐに実現するわけではないだろうし、権力側は言葉とは裏腹にその逆に向かっているようだ。それならば結局は税制を健全化して、財政赤字を徐々に縮小すると共に、教育の機会均等と育児支援、老後の安心を透明化された不正の少ない公の仕組みで確保していくのが効率的かつ幸せに繋がることを再認識すべきだ。例えば医療や教育は公のシステムが機能していなければ一部の人のものとなり、所得が高くても多くの人の間で実証された質の高いサービスを使えなくなってしまうし、例えそれと同じ質を求めても料金は数倍になるだろう。民間の間でいい社会に変えることができないのなら、民主主義に基づいた公的システムを如何に公平に運用するかという基本的な論点に終始することが正しい価値観になる。

#教育無償 の補足が総論に…

前のツイート後に #電磁波犯罪 の種類がだるいものに変わった。書いた内容は、過去に散々議論されてきたことの本質的要素を機能的に解決するための俯瞰像。間違ったことは主張していない。

要するに、日本の社会を発展させ問題を解決する側が非自民側ならステルス弾圧がある証左。自民は逆の改悪。





2014年5月6日のツイート

#集団ストーカー #テクノロジー犯罪
から身を守るには孤立化を避けるべきだ。どうしても孤立化を避けられない場合もあるだろう。それでも被害者の命を守るには、相互に安全をチェックできるような社会システムが必要。そのシステムが逆にいじめを生むようなことがない仕組みも導入する必要がある。

#教科書問題
これは戦後のアメリカによる日本戦略(=軍国主義からの脱却)を結果的に守っている平和主義左派と、今のアメリカのウラの日本戦略(=再軍備と孤立化、東アジア共倒れ)を実行する保守陣営の争いだ。戦後レジュームからの脱却は自らの意思によらない偽保守の象徴以外の何ものでもない。

補足:僕は平和主義かつ平等志向の中道左派。外交は平和主義の中立

真の経済政策

金融緩和で銀行を通じお金をばら撒くのでは融資先がないので効果は小さく成功しても国民の幸福には繋がりにくい。インフレが起きないように注意しながら日銀の資金投入を教育や福祉、医療のサービス充実と雇用増に対して行って、世の中のお金を増やせば幸せな形での景気回復が可能。増えすぎたお金を回収しなければインフレになるが、国民が貯蓄の意識が高ければ貯金が増えることでインフレを避けられる。国民の将来不安が無くなれば貯蓄率は上がらない可能性があり、市場に増えたお金を税で回収する必要が生じるが、社会は幸福になるので余裕のあるところへの課税が可能になる。
posted at 05:21:12

#ケムトレイル で #集スト
早朝のツイートはグローバル支配者を怒らせたらしい。なぜ皆が幸せになることをすべて潰すのか?日本を潰したいだけか?食糧・エネルギーが問題ならそこに資金投入すれば既に解決可能だ。なぜ逆をするのか?電磁波反対。 https://pic.twitter.com/entf2nfNVp
posted at 11:52:02

早朝の2つのツイートへの批判は、中央銀行が政府発行の国債を直接購入することが、ハイパーインフレを招く可能性があるため、タブーとされていることだろう(主張の本質はインフラでなく教育・医療・福祉の予算拡大)。対策は財務省と中央銀行への権限を持つ物価の監視機関としての経済制御庁の創設。
posted at 12:50:10

経済
貨幣を使って経済と社会を機能させる仕組みは、中央銀行が必要なだけの貨幣を市場に流通させ、税収から国が必要なサービスを行い、使われない余った貨幣は税や貯金で回収して必要な処に再循環させるというもの。この循環が機能していれば、実体経済の数倍の貨幣量が必要になることはない。だから税は使われない余った部分にかけるべきで、異論はあるだろうが、企業、家計に関係なく必要を超えて資金が余り過剰貯蓄しているところへの優先的な課税が、経済システムの本来の機能を再生させる。税金の使い道は、国民の生活と命を守ることを優先し、次いで社会発展への貢献となる。 補足

現在政府が検討している死亡消費税は上の理屈から考えても、資金が余っていないところへかけられる要素が大きい上に、不動産などの遺産にかかった場合、低所得層なら税を払うために住んでいる家を売っても次の住居の資金を得るには不十分なので、経済性を損ねるどころか人権問題となる。

#ケムトレイル
昼のバツ印だけではなく、3本線でゲオルギーリボン、2本線で日本、午後4時半にもう一度バツ印のダメ押しなど大量。各地でも見られたらしい。病気になるアルミやバリウム、ウイルスが含まれているといわれるが困る。この写真は4本。 https://pic.twitter.com/V8cbfcvp4n
posted at 21:20:32





2014年4月3日のツイート

未来社会

将来の超格差社会を克服するための社会モデル。近未来においては労働の多くがコンピューターやロボットに変わっていき人の労働は高度人材のみに限られる。そこでコンピューターやロボットの労働に税率100%の賃金を払うルールを設け再分配の財源とし、市民の平等と能力による公平を両立。

労働なき市民には生涯学習を義務付け不満なき人生を謳歌。そのなかから次の高度人材が生まれることにより社会に柔軟性もたせることができ、市民生活と経済社会が機能。情報は権力側も市民側も完全に公開することで相互チェックを機能させ、権力による一部の市民への弾圧がおき得ない社会をつくる。

現在においては量的緩和策の行き過ぎにより実体経済と金融経済で通貨量が乖離して通貨への信頼が損なわれつつある。また、過去の金本位制は急激な人口増加に耐えられなかった。よって市民も権力も受け入れられる通貨のアイデアが必要。

通過の総量を(人口)×(幸福のために必要な一人当たりのGDP)とすることで人口変動に対応。一人当たりのGDPに偏りがあった場合、再調整をする仕組みを導入。各地域間で競争力強化のための人口増加を招かないため、且つ人口減少対策のための「2人っ子政策」により、戦争や破綻を回避。





その他

2014年1月のツイート

事実といわれていることに嘘が混じっていたり、陰謀論の中に一縷の真実が隠れていたりする昨今、何が真実かを知ることが困難だが、こういうときほど、客観的な立ち位置を意識し、冷静な観察者であろうとすることが望ましい。思慮のないまま行動する者ほど利用されるので、より抑制的であるべきだろう。


2013年12月のツイート

絶対的な正解を求めるべきではない。対立を生み、多様性という知恵を損なうこととなる。それを避けるためには、破綻的な結果をもたらす事象のみを限定し、そこを止めた残りを多様性を前提とした答えとするだけでいい。そもそも正解を求めることより疑問を見つけ思考することを優先するべきではないか。

2013年11月のツイート

事実に蓋をしてすべてを同じとみなすことによる平等と、事実を付加価値をつけることなくありのままに見つめ、その違いを受け入れて人権の平等を尊重するあり方。弁証法を行うと、“機会と結果の平等をともに尊重しつつ、資質の高い者に関しては環境に配慮し全体の福利に貢献させる”が最適解になる。


2013年6月のツイート

すべての人が幸福になる権利を有しており、誰しもその権利を侵害することは許されない。公の機能はすべての人がその権利を行使できるよう最大限の努力を払う必要があるだろう。人が社会性のある生きものである限り、皆が幸福であるように行動することが最も自然な行為ではないだろうか。

往々にして短期的利益を追求した場合に長期的には損失を被る可能性があり、長期的利益を追求した場合には短期的に利益を損なうケースが多々ある。目先の利益に飛びつくことなく、長期目標を念頭に置いて一歩一歩着実に進んだほうが結果的にはうまくいくことが多いのはいうまでもないことだろう。

複雑な事象の内にある相反する要素からよりすぐれた方を選択しながら、容易に判断できないものはバランスを取りつつ、全体が機能するように組み合わせていく手法を第三の道というのではないか。忘れてはならないのは、欲を排して利他を目的とした観点で判断しなければ機能性を失い逆効果になることだ。

すべての物事は相対的な関係性のなかにあり、それは時間の経過とともに相互に関係性を変化させつつ存在している。それはあたかもつかみどころがなく、まるで実体がないかのようであるが、それがその瞬間においての実体なのだろう。変化しゆく実体を先入観を持つことなくありのままに受け入れることだ。

すべてをありのままに受け入れたなら煩悩は消えるだろう。するとそれまで見えなかったものが自然と見えるようになる。無欲のなかに意欲が芽生え、自然に導かれた目的に向けて歩むことができれば本質的な幸福が得られるに違いない。その幸福感は利己的なものではないだろう。慈悲と利他が自ずと生じる。




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